9月16日、菅義偉氏が第99代首相に指名された。地方議員出身で自らも「たたき上げ」と称する71歳の新宰相。一方、官房長官としては淡々と記者の質問をさばいてきた。菅氏に定期的に取材を重ねてきたジャーナリストが、長年の取材メモから素顔を探る。
▼横浜市議選で書いた秋田出身
▼国家観ナシ 殻を破れるか
▼パンケーキよりアンコが好き
「高校を卒業して(秋田の)家を飛び出して夜行列車で上京したんですよ。段ボール工場に住み込みで働いたけれど、一生懸命働いても裕福になれない。そんな世の中を何とかできるのは政治かなと......」
今では、すっかり有名になった話だろう。だが、私が菅義偉(よしひで)氏から直接、こう聞いたのは15年前の2005年12月のことだ。時は小泉純一郎政権。菅氏は副総務相だった。私が当時在籍していたCSニュース専門チャンネルのゲストに招いたのが出会いのきっかけだった。控室で菅氏と初めて一対一で話した。まるで世間話のようだった。そして、こう付け加えた。
「実は今まで自分の生い立ちをあまり話さなかったんですよ。でも(国会議員として)本当にようやく何とか人並みの仕事ができるようになってきたかなと。そろそろ堂々と過去を語ってもいいのかなと」
私は当時、専門チャンネルのホームページに小さなコラムを持っていた。「2世、3世が跋扈(ばっこ)する永田町に珍しい苦労人」といった体で書いた。菅氏の生い立ちを詳細に書いたのは、恐らく私が初めてだったのではないか。当時、コラムを見た菅氏の東京事務所の秘書ですら、「段ボール工場とか、就職相談に行ったとか初めて知りました」と驚いて電話を入れてきた。
なぜ、話さなかったのか。故郷への罪悪感か、生い立ちへのコンプレックスか。しかし「そろそろ堂々と」とは政治家として自らを確立できたという自信であり、節目だったのだろう。
その瞬間から、これまで菅氏とは年数回、必ず一対一で話を聞いてきた。いわゆる〝サシ〟の取材メモが手元にずっしりとある。それらから菅氏の政治手法や政策が読み解けるはずだ。
菅氏は自身の政治のキーワードは「地方だ」と、その後も言い続けてきた。19年4月の新元号を発表した記者会見の直後だ。今後の政治テーマを聞くと、こんな答えが返ってきた。
「38歳の時に横浜市議会議員に出馬したけど、その時の選挙区が、なかなか地元意識が強く、私のようなよそ者は厳しいかなと。でも、あえてチラシなどに秋田出身と書いたんですよ。すると、都会は地方から出てきた人が多いですから、『俺も秋田だ』『東北出身だ』『俺は九州だが同じ地方出身だ』と逆に応援していただいた。総務大臣の時にふるさと納税を提唱した。地方から出てきた人間っていうのは一定の年齢になったら、自分を育て、両親の面倒も見てくれた故郷に、何らかの形でお返しがしたいと思うんじゃないか。それで当選2回の頃から、ふるさと納税を温めておいて、総務大臣になったので『やるぞ』と。ずいぶん抵抗もあったけど(笑)」
語る経済政策はマクロ的に見えるが、よく聞くと「地方」に直結している。
「外国人労働者の受け入れは自分が始めた。やらせてほしい、やりますよと(安倍晋三)総理に言ったんです。国会で拙速と批判を浴びることは分かっていたが、急いだ。期限を決め、対象の14業種の業界団体ともしっかり話をしてきた。やらないと地方の労働力がもう持たない。地方の労働力をカバーするために必要なんですよ。介護などの分野もそう」(19年2月)
「IR(カジノを含む統合型リゾート)は首都圏もそうだけど、できるだけ地方に持っていきたい。地方のインバウンドの目玉と思っている。5カ所、いや3カ所くらいからでも始めたい」(18年1月)
下戸の菅氏。好物はパンケーキとされている。ただ、私の長年の取材では一番はアンコだ。実家は農家で小豆は身近だったのだろう。そんなところにも「故郷」「地方」が根付いている。