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2020年6月21日号
コロナで名を売った3大「関西」政治家の話法
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吉村洋文大阪府知事(44)の新型コロナウイルス対応が評判だ。西村康稔経済再生担当相(57)と小池百合子東京都知事(67)もお茶の間の顔になった。くしくも3人は関西出身。安倍晋三政権の対応にうんざりする人が多い中、名を売った関西出身の〝3大政治家〟に迫る。

大阪府知事・吉村洋文 批判的な相手に悪印象を持たせない

経済再生担当相・西村康稔 エリート歴を封印、庶民を強調

東京都知事・小池百合子 敵を作り、悪と戦う自分を演出

「大阪の人は勝手な人ばっかり、みたいに言われるけど、いざとなったら全国で一番団結してくださるのが大阪の人」

4月の記者会見で吉村氏はそう語った。続いて、主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が昨年、大阪市で開かれた際、「クルマで動かないでください」と呼びかけたことを振り返り、「お願いしたら街からクルマは消えました」と大阪人を持ち上げた。

今まで大阪市の松井一郎市長や橋下徹前市長の陰で目立たなかったが、新型コロナをめぐる対策で殻を破った。遡(さかのぼ)ると今年3月の連休前、吉村氏は「兵庫県との往来を自粛してほしい」と発言し、根拠とした厚生労働省の文書をすぐに公表。独自対策を積極的に打ち出したのはこの頃からだ。せっかちな関西人からは「大阪初の総理大臣間違いなしや」の声も飛び出している。

5月5日、吉村氏は「府民には血のにじむ思いで協力していただき、感染をずいぶん抑え込んだ。どうなったら(緊急事態を)解除できるのか。出口戦略をきっちり示す必要がある」と力説した。その内容は、「新規感染者のうち経路不明者が10人未満など3条件を満たした日が1週間続く」というもの。安倍晋三首相が緊急事態を5月31日まで延長すると決める中、数値基準を示した「大阪モデル」に評価は高まった。吉村氏は「本来は(数値基準を)国で示していただきたかったが、示されない」と国に再三かみついた。

それに対して、「仕組みを勘違いしているのではないか。緊急事態の解除の基準は国の責任」とツイートして一蹴したのが、3月から新型コロナ対策担当相を兼務している西村氏。小池氏も「出口なんて言うと終わったように安心してしまうのでそんな言葉は使いません」と吉村氏を意識した。

吉村、西村、小池の各氏は、さしずめ「新型コロナで名を売った3大関西政治家」と言っていいだろう。3人の略歴を紹介しよう。

◇小池氏は「変わり身が早い」

吉村氏は大阪府南部の河内長野市出身。池田市や豊中市のようなベッドタウンよりも大阪らしさがよく残る地域だ。府立生野高ラグビー部で活躍した後、九州大法学部に進学し、司法試験に合格した。タレントのやしきたかじんの顧問弁護士を務めていた2011年、やしきに推されて大阪市議に転じ、3年後に「維新旋風」に乗って衆院議員に当選。15年、橋下市長の辞任に伴い、自民党のエース、柳本顕市議団前幹事長を破って市長の座を射止めた。

一方、西村氏は連日の記者会見で、新型コロナ対策を理路整然と話し、洗練された印象を受ける。兵庫県の民放局「サンテレビジョン」記者が言う。

「有力な対抗馬もおらず、いつも開票直後に当確が打てる人です。可もなく不可もなくというか、これと言って目立つことはしていないですね」

いち早く当確になるせいか、最近までテレビの露出が少なく、西村氏が兵庫県出身とは知らなかった人が少なくないだろう。

生家は同県明石市の時計店。『神戸新聞』元記者で、「市民自治あかし」の松本誠代表世話人は次のように指摘する。

「選挙になると、『明石駅前の時計店の息子』を強調しています。誰もがうらやむエリートなので庶民性を強調したいのでしょう。西村氏は気さくな男ですが、悪く言えば八方美人」

灘高、東大法学部を経て、通産省在職中に米メリーランド大大学院で修士号を取得したが、自身のウェブサイトは東大にも米国留学にも触れていない。

1999年に退官し、「自民兵庫のドン」という異名があった原健三郎元衆院議長の秘書となる。2003年に原氏の地盤から衆院選に出馬し、初当選した。福田康夫、麻生太郎両内閣で外務政務官。民主党旋風が吹いた09年の総選挙では、西村氏が自民党候補者としては兵庫県内全12区中で唯一の当選者だった。

小池氏は民放のニュース番組キャスターなど華やかなキャリアで知られ、関西出身の印象は薄いが、生まれ育ったのは同県芦屋市だ。政治好きだった貿易商の父親は昭和40年代から石原慎太郎元東京都知事に共感、自ら衆院選に出て落選したこともある。小池氏は関西学院大を中退してエジプトに渡り、カイロ大に入学した。同時期に父親がカイロで商売を始めた影響という。

帰国後、アラビア語の通訳などを経てテレビ番組にレギュラー出演し、1988年から「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)の初代キャスターを務めた。92年、細川護熙元首相が結党した日本新党に加わり、参院議員となった。翌年には衆院議員に転じた。その後、小沢一郎衆院議員率いる自由党や保守党などを渡り歩き、小泉純一郎内閣で環境相として初入閣。郵政民営化法案に反対した自民党議員を落とす「刺客」として、選挙区を兵庫6区から東京10区に変更。前出のサンテレビジョン記者の小池氏評はこうだ。

「兵庫6区の対抗馬、宝塚市長を務めた阪上善秀さんの人気が高く、小池さんは勝てないと感じていたはず。変わり身が早い人です」

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