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2019年8月18日号
芸能界と任侠界――裏のウラ「だから吉本興業は変われない」"危険な編集者"元木昌彦が斬り込む
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◇ここまで書いたらアブない!?"危険な編集者"元『週刊現代』編集長・元木昌彦が斬り込む

「闇営業」問題に端を発し、吉本興業の企業体質が批判にさらされている。かつて吉本は「反社」と縁が深く、それを断ち切ろうとしたはずが、なぜ現状に至ったのか。芸能と任侠世界をよく知る危険な編集者が、いまや官民ファンドが122億円の税金を投入する「政商」の座を得た吉本興業、その創業100年の「闇」に迫る―。

吉本興業は創業以来最大の危機を迎えている。

所属芸人たちの「闇営業問題」は、吉本興業の企業体質そのものを問う流れになってきた。

創業100年を超え、今やエンタメ界のガリバーといわれる吉本興業だが、振り返れば、山口組三代目と創業家との蜜月時代、前社長が乗っ取り容疑で逮捕、創業家を追い出すための株式公開買い付けなど、内部抗争、お家騒動を繰り返してきた歴史のある会社である。

1912年(明治45年)に吉本泰三とせい夫婦が寄席の経営を始め、翌年に「吉本興行部」を設立する。

せいの弟の林正之助(しょうのすけ)が総支配人として吉本に入ってきてから、激動の時代が始まるのである。

「吉本興業前社長ら逮捕へ 会社乗っ取る 山口組の名でおどし」

1968年1月11日に吉本興業の林正之助前社長が、銀座にあった芸能プロダクション社長と組んで、レコード会社の乗っ取りを画策した際、2人が「電話一本で山口組員300人を呼んで血の雨を降らしてやる」と凄(すご)んだとして、恐喝の罪で逮捕されたときの『毎日新聞』の見出しである(増田晶文著『吉本興業の正体』草思社文庫より)。

吉本興業と山口組との関係は古い。特に、三代目の田岡一雄組長との付き合いは、つとに知られている。

林は田岡組長の妻名義で4080株もの自社株を持たせていたというから、身内同然の付き合いだったのであろう。

増田の本の中に、こんなエピソードがある。後に林正之助が会長になった時、彼は芸人たちに、こう訓示を垂れたというのである。

「ヤクザとは一切関わってはいかん。飯や酒の席はもちろん、電話で話すのもいかん。目を合わせてもいかん。同じ空気を吸うてもいかん。考えられるあらゆる局面でヤクザと接してはいかん!」

自分のこれまでのヤクザとの付き合いを棚に上げて、そういい放った。

しばらくして、山口組の田岡組長が死去したという報道が、大阪の夕刊紙の1面に掲載された。

これも山口組とのつながりが噂(うわさ)される漫才師・中田カウスが夕刊紙の1面を携えて、林に会いに行った。カウスは田岡の葬儀の写真がデカデカと載った1面を見せ、

「まことに申し上げにくいんですが、ここに写っているのは会長ではないのでしょうか?」

新聞を一瞥(いちべつ)した正之助は、ニコリともせずこういってのけたという。

「カウス君、あんた、僕が双子やというのを知らんかったのか?これは僕やない。弟ですよ。しゃーないやっちゃ。あいつにも、きつう言うとかんとあかんな」

こうした滅茶苦茶(めちゃくちゃ)というか豪放磊落(らいらく)な人間が吉本のトップとして君臨していたのである。

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