韓国で一人の〝影武者〟が亡くなった。金達述(キム・ダルスル)氏、享年90。世界の北朝鮮ウオッチャーでは、北朝鮮の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の影武者としてよく知られている人物だ。
2000年6月13〜15日、史上初の南北首脳会談が行われた。歴史的会談を控えた同月6日、韓国大統領府では一つの会談が行われた。微に入り細を穿(うが)つほどの準備の総仕上げとして、大統領府スタッフが用意した南北首脳会談の模擬会談だ。そこで、当時の金大中(キム・デジュン)大統領と対話する金総書記役として白羽の矢が立ったのが、金達述氏だった。
金達述氏は1961年に韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)入りし、北朝鮮研究を続けた。70年代以降、南北対話に100回以上関与してきた南北問題のスペシャリストだった。
金達述氏は当初、金正日総書記の父である故・金日成(キム・イルソン)主席の代役になろうとしていた。94年に当時の金泳三(キム・ヨンサム)・韓国大統領との南北首脳会談が計画された時があったが、事前に金泳三氏と大統領府で模擬会談の代役を務めたことがあったという。
ところが、会談開催直前に金日成主席が死去し、それ以降は金正日総書記の代役になろうと務めた。97年に引退したものの、初の南北首脳会談を前に大統領府から請われて影武者役を引き受け、金大中氏と対話形式のシミュレーションを何回か繰り返し、金大中氏に助言を与えている。
金達述氏は、朝起きると朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』を熟読し、日中は北朝鮮から流れる映像を見て、文献を熟読するのが日課だった。そのため、「身体は韓国人、考えと行動は北朝鮮人」としばしば言われていた。韓国にいながらも北朝鮮の人間として生きてきたのだ。
一国の指導者や政治体制、思考方式を知るにはそこまでの努力が必要だ。金達述氏はそれを身をもって教えてくれた人物でもある。
(浅川新介)