牧太郎の青い空白い雲/1021
101歳で亡くなった中曽根康弘さんは首相在任中、毎週のように東京・谷中にある臨済宗の寺院「全生庵(ぜんしょうあん)」で座禅を組んでいた。
番記者として、中曽根さんに可愛がられ『中曽根政権・一八〇六日』(行研出版局)、『中曽根とは何だったのか』(草思社)などを書かせてもらったが......番記者としては「禅寺行き」は結構、疲れた。
週末の夕方、官邸から出た首相の車を追いかける。「また、例の禅寺か?」ということになるのだが......。本当に座禅しているのか? 寺の中で「大事な誰か」と密会しているのかもしれない。
寺の「出入り」を徹底的に調べる。神経を使うのだ。
この寺は、江戸城を「無血開城」させた勝海舟と西郷隆盛の会談を仲介した、幕末の剣豪・山岡鉄舟が明治維新で国に殉じた人々の菩提(ぼだい)を弔うため、1883年に建立した名刹(めいさつ)。中曽根さんだけでなく、昭和の時代「政財界の大物」が出入りしていた。何も起こらず、2時間ほどで中曽根さんは首相公邸に戻るのだが。歴史を動かす「何か」がこの寺の中で進行したのか? それは最後まで分からなかった。
公邸に戻ると時々、「総理からです」と言われて〝お土産〟をいただく。決まって豆大福とお赤飯。谷中霊園近くの和菓子屋「荻野」は(記者たちにも)人気だった。
中曽根さんは特に「赤飯」が好きだった。「古代から赤い色には邪気を祓(はら)う力がある」と信じていた。で、長寿のお祝いでは、必ず赤飯を配っていた。
中曽根さんと同い年(1918年生まれ)の田中角栄さんも、赤飯が好きだった。変わっていたのは選挙が終わると「落選した子分」に赤飯を届けるのだ。
「ご苦労さん。コレは次の勝利への前祝いだ!」
角さんの地盤だった新潟県長岡市あたりでは、赤飯に「醤油」を使う。「醤油赤飯(長岡赤飯)」といわれるが......。もらった人は「特別の扱い」と思って感激する。
東京・目白の自宅(通称:目白御殿)を訪れる客に対しても、飾らない料理として赤飯を出した。
今年の3月11日、福島県いわき市の五つの市立中学校で卒業の祝いに赤飯の給食を用意したところ、「震災のあった日に赤飯はおかしい」と抗議の電話が。生徒たちには学校で備蓄した非常用の缶詰パンが出されたらしい。調理済みの約2100食の赤飯は廃棄されてしまった。もったいない。
赤飯の歴史は古い。第35代皇極天皇(在位642~645年)が新嘗祭(にいなめさい)に、赤飯のルーツでもある赤米などの五穀をその年の収穫に感謝の気持ちを込めて神様に奉納したという。お祝いとともに赤飯の思いは「感謝」。11月23日の「勤労感謝の日」は、「お赤飯の日」でもある。赤飯を食べられなかった卒業生! 「日頃の安心安全」に感謝し、赤飯を食べようや!
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◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある