牧太郎の青い空白い雲/1005
その昔、そう、晩秋の今ごろ、競馬場の隅から隅まで〝競馬の神様〟大川慶次郎さんを探して「彼の予想」を聞き出したものだ。何しろ、慶次郎さんは1日の全レースをパーフェクトで的中したことが、何と4回。「大谷翔平が全打席ホームラン!」と同じような〝奇跡の予想屋〟である。
それでも、彼は「僕は競馬で3億円勝っています。でも4億円、負けていますよ」と笑っていた。
ある時、その〝日本一の予想屋〟に「大川さんは渋沢栄一さんのひ孫という噂(うわさ)を聞きましたが......」と尋ねたことがある。
渋沢栄一は「日本資本主義の父」。約500企業の設立にかかわり、日本初の銀行である「第一国立銀行」を設立した人物である。そんな大人物の「ひ孫」が「競馬の予想屋」......。意外だった。聞くと、彼は青森県八戸市の大平牧場で競走馬を生産するオーナーブリーダーであった大川義雄(高千穂製紙社長)の次男。父・義雄さんは渋沢栄一の次女・照子さんの長男だったそうだ。慶次郎さんはひ孫だった。
「でも、渋沢栄一の孫、ひ孫はどこにでもいるんですよ。孫が100人くらいいるかなぁ」と笑う。
孫が100人? まさか?
渋沢栄一が「1万円札の顔」になった時、改めて「孫100人の秘密」を調べてみた。
栄一は1858年、18歳でイトコの千代さん(当時15歳)と結婚。2男3女をもうけた。千代さんに先立たれると、翌1883年に15歳年下の兼子さん(当時31歳)と再婚。5男1女をもうけた。
これだけで、子どもが11人。
それだけではない。お妾(めかけ)さんの間に生まれた子どもが何人かいて(近代史の学者センセイによって「数字」はまちまちだが)、「渋沢栄一の子どもは17人から30人」いたらしい。桁外れの「艶福家」。
彼の著作『論語と算盤(そろばん)』には「子だくさん」「孫だくさん」の話は出てこない。でも「婦人関係以外は一生を顧みて俯仰(ふぎょう)天地に恥じない」と書いているから、素晴らしい人生だったが......華やかすぎる女性関係を本人も「やり過ぎ!」と感じていたのだろう(笑)。
でもその結果、日本の明日を左右する「優秀な人物」が彼の子どもや孫から次々に誕生している。慶次郎さんもその一人なんだろう。つまり......子どもの数が多い! ということは、それだけで「可能性が大きい」ということだろう。
今、永田町は突然の「国会議員の定数1割削減」で大騒ぎだ。
自民・維新内閣から「国会議員の数を50人減らせば日本人は幸せになる!」なんて聞かされても......。
昨今、政治家も役人も、そしてメディアまで「何から何まで小さくなろう!」と口を揃(そろ)える。「縮小再生産」ばかりの日本国......。1万円札の顔・渋沢はひょっとして「資本主義の終わり」を予感しているのでは......。
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◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある