2000回が目標! 俺が死ぬか?『サンデー毎日』が廃刊するか?(笑)
おカネをもらって「モノ」を書く稼業。簡単に見えるが......けっこう悩む。
「ここまで書かないと、読者は納得しないだろう」と〝決意〟して、筆を走らせるのだが......。その途中「ここまで書くと、何人か傷つけることになる?」と思い......躊躇(ちゅうちょ)してしまう。「どこまで、ツッコんで書くのか?」が問題になる。
だいたい「真実!」と思って書いたとしても、時間が経(た)てば「真実」は微妙に変わる。大げさに言えば「正義と思ったことが不正義」だったりする。
だから、悩んでしまう。
少し前、『週刊新潮』で一番最初に読んでいた高山正之さんのコラム「変見自在」が8月28日号で終了した。外国にルーツのある作家の名前を挙げ「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」などと高山さんは主張した。いつものようにズバッと書いている。
ところが、この「言い回し」が差別だ!と問題視され、長〜い長〜い連載が終わってしまった。
高山さんの「売り」は辛口で挑発的なスタイル。多分、「ここまで書いていいのかな?」と悩む当方とは違って、高山さんは「ここまで以上に刺激的に書こう!」と思っていたのだろう。だから、ファンが多い。
もちろん議論はいろいろあるだろうが、はっきり言って高山さんの言い分は「言論の自由」の範疇(はんちゅう)ではないのか? むしろ、連載中止は「憲法違反」?という気分だ。
それはそうと、このコラム「牧太郎の青い空 白い雲」は今回でちょうど1000回。多くの読者に支えてもらった。本当にありがとう。
実は、回数を重ねるたびに例の「悩み」を解消する方法を発見した。例えば、コラムの「余韻のようなもの」を利用するのだ。
「余韻」とは......。「ここまで書かなくても、なんとなく分かるはず」。つまり、文字にならなくても「筆者の本音」が分かるように。『サンデー毎日』の読者は賢いからだ。
そういえば『週刊文春』の8月28日発売号(9月4日号)は「表紙絵なし」。表紙が真っ白だった。
『週刊文春』は1977年5月12日号から、和田誠さんの絵を表紙にしていた。(和田さんが亡くなっていることもあり)9月11日号から新しい表紙となった。
その和田さんの絵は数えてなんと2000号。たぶん、週刊誌史上最多の表紙である。2000号の表紙とは比べものにならないが、俺も2000回を目指すか?
1年にザッと50回。ということは、あと20年? 俺、たぶん死んでいるだろう。紙媒体の『サンデー毎日』だって廃刊になっているかも?
ともかく、これからも「悩み」ながらも、好き勝手に書きたい。
読者の皆さん、末永く頼むぜ!
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◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある