牧太郎の青い空白い雲/977
どんな時代にもスーパーヒーローはいる。
江戸時代、京都町奉行所の与力を務めた「神沢杜口(かんざわとこう)」(1710〜95)という人物は、司法・警察の本職でも超一流。大泥棒・日本左衛門の手下・中村左膳を江戸に護送する「難しい仕事」を成功させた。ところが......。文筆が得意だった。44歳の時にリタイアして跡目を婿養子に継がせ、文筆活動に夢中になる。大作『翁草(おきなぐさ)』200巻を書き上げた。
「心の在り方で一日を何倍にも生きられる」が口癖。「静坐百六十翁」と名乗り、京都各地の借家を転々としていたが、自慢は「健脚」。「行き倒れてもいいように」迷子札を付けて旅に出る。80歳になるまで1日20㌔、難なく走破した。間違いなく「江戸のスーパーお爺(じい)さん」である。
その「静坐百六十翁」を驚かせたのが「サイコロ博打(ばくち)の天才」である。『翁草』の中で、彼が紹介した〝奇跡のギャンブラー〟はサイコロの目を思い通りに出すことができるのだ。お白州の場で実演させたら「幾度打ても乞目(狙った目)の違ふ事なし」。『翁草』でこの男を紹介したのは多分、江戸時代、サイコロ博打は旅行と同じように誰でも参加する「お遊び」だったからだろう。どんな時代でも、博打は存在する。
当方も若い頃、麻雀(マージャン)に夢中になった。『毎日新聞』の警視庁捜査2課担当記者だった頃。朝5時ごろ、やって来たハイヤーに飛び乗り、刑事さんの自宅の前に立って出勤を待つ。「捜査状況」を聞き出すための取材。「朝駆け」である。
警視庁に戻って庁内を一回り。午前11時頃、捜査2課長の記者会見。夕刊に入れる記事を書き上げ、午後2時ごろから「七社会」(記者クラブ)で昼寝。夕方、庁内を回ってから「夜討ち」。またデカさんの家に行く。自宅に帰るのは午前1時ごろだった。
そんな「過酷な生活」を強られていたが......。ホンのいっとき、楽しむことができたのが「麻雀」だった。「夜討ち」取材の前に、ライバル社の記者同士が警視庁記者クラブの一角で「賭け麻雀」を始める。「時効」だから正直に言うが、「賭け麻雀」は違法。でも警視庁は見て見ないフリをしていた。
この麻雀がなかったら、ノイローゼになってしまいそうだった。
最近、オンラインカジノにハマった芸能人が話題になっている。彼らは決まったように「違法とは知らなかった」と言い訳を述べる。そんなことは断じてない。「世間はそのくらいのお遊びは許すだろう!」と思っているのだ。
それにしても、競馬・競輪など「お上」が開く博打は合法で、民間のカジノ類は違法?「法の下の不平等」を感じる。
どうでも良い「犯罪者」を作るより「博打の合法化」を議論したほうが建設的ではあるまいか?
◇まき・たろう
1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある