牧太郎の青い空白い雲/969
100年ほど前、北海道の一部は人間とクマが命を懸けて戦う「戦場」だった。
例えば......。1915(大正4)年12月9日、北海道苫前(とままえ)郡苫前村三毛別(さんけべつ)の開拓集落にヒグマが現れた。「三毛別」はアイヌ語で「サンケ・ペツ」。「川下へ流し出す川」という意味らしい。
12月9日、前月、軒下のトウキビが荒らされ、ヒグマの仕業ではないか?と言われていたこの日、ある民家の主人が山仕事で外出している間にヒグマが現れ、妻と6歳の子どもが襲われた。
子どもは囲炉裏に座っている格好だったが、喉と側頭部に親指大の穴が開き、即死。ヒグマは妻の体を引きずりながら、窓から屋外に出たらしく、窓枠には数十本の頭髪が絡みついていた。
翌日の午前9時ごろ、捜索隊が結成され、クマを発見。発砲するとクマは山に逃げたが、そこに妻の脚と頭蓋の一部が残されていた。
ヒグマは人間の肉の味を覚え、遺体を雪に隠して「保存食」にするつもりだったようだ。
夜、通夜が行われた。村民はヒグマの襲来に怯(おび)え、参列したのはごく少数だったが、午後8時半ごろヒグマが乱入してきた。棺桶(かんおけ)が打ち返されて遺体は散らばったが、会葬者は外に飛び出すなどして難を逃れた。
悲劇が起こったのは、そこから500㍍下流の民家だった。例のヒグマが消えて約20分後、激しい物音と地響きを立て、窓を突き破って黒い塊が侵入。あのヒグマだった。5人が殺害され3人が重傷を負った。
12月12日、北海道庁警察部(現在の北海道警察)は「討伐隊」を組織。13日には歩兵第28連隊の将兵30人も出動。その翌日、地元の猟師がヒグマを発見。20㍍という至近距離まで接近して発砲。ヒグマは絶命した。
3日間で投入された討伐隊員は官民合わせて延べ600人、アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁。まさに「大戦争」だった。
事件発生から3日間、この地では晴天が続いていたのだが、ヒグマが死ぬと突然、激しい吹雪に変わり、この天候急変を村人たちは「熊風」と呼んで語り続けている。
今さら100年ほど前の史上最悪の熊害・三毛別羆(ひぐま)事件を紹介したのは、今年も「熊に襲われて死亡した」ケースが急増しているからだ。2023年度はクマ類による人身被害の発生件数は198件。6人が死亡している。今年は街のスーパーマーケットにも出没した。
その理由は「人口減少」だろう。これまでは野生動物の生息域に人間の生活圏が広がった。ところがこの数年、クマを「押し返してきた時代」から「押し戻される時代」に変わったのではあるまいか?
熊は強敵。時速50㌔で走ることさえできる。「人間vs.クマ」の戦争が始まった。