牧太郎の青い空白い雲:/968
その昔、大蔵大臣サマが「貧乏人は麦を食え」と言って大騒ぎになったのは、1950年の12月。当方「6歳」の頃だった。
当時、日本は緊縮財政が原因で大不況。(後に首相になった)池田勇人蔵相は、米価が高騰していた50年12月7日の参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁した。所得の少ない方? 要するに......貧乏人は麦を食え!である。池田さんは「失言」が多かった。「不当投機をした人が5人や10人(倒産し)、自殺してもやむなし」と答弁したとして辞任に追い込まれたことも。「麦を食え」発言には、当時、料亭を経営していた母は〝六つのセガレ〟に「池田さんの言う通り」と話した。
「われわれ料理屋も、銀シャリを十分に食べてもらえるようになったのはつい最近。明治の昔から、農家でもコメを食べてなかった。コメを売って肥料代や生活費を出して麦やアワ、ヒエを食べてた」
母は「コメを大事にしないとバチが当たるよ!」と説教した。
高校生になって勉強したのだが、民俗学者の柳田國男さんは「農家は、正月に一ぺん、お盆に一ぺん、お祭りの時に一ぺん、法事か何かあれば一ぺん、1年に4回とか5回とかは真っ白な粒のそろった米を食っている。でも、それ以外、米を食べるとしても屑(くず)米」と書いている。
「屑米」とは「欠陥あり通常の商品としては流通しないコメ」である。明治以降、コメを食べられるのは「裕福な家庭」に限られていた。
「貧乏人は麦を食え」のエピソードを持ち出したのは、今年の夏、各地でスーパーの棚から軒並みコメがなくなったからだ。「令和の米騒動」である。2023年からの猛暑の影響で、コメ不作だったのが原因の一つ。円安の影響で、多くの外国人観光客が来日したこともある。彼らは「江戸前寿司(ずし)」が大好きだ。8月に突然、南海トラフの「臨時情報」が出て「備蓄」のために買いだめをする人も増えた。
結局1カ月後、新米の流通が進み「令和のコメ騒動」は収束に向かったが......。コメの値段は高騰が続く。店頭価格は1袋(5㌔入り)が3000円を超えてしまった。前年より1000円以上高い。
流通事業者らのコメ争奪戦が価格を押し上げているのだろう。農水省が11月、発表した新米の10月の相対取引価格は2万3820円(60㌔当たり)と前年比1・5倍以上。めちゃくちゃな値段だ。にもかかわらず、コメ農家は次々に廃業。専門家の調査では、30年の時点でコメ・麦・大豆の耕作面積は今より34%、農家自体が55%も減少との「試算」がある。後継者がいない。政府がコメを安値に放置したツケが来たのか?
令和6年、コメを安く買えた時代が終わった。今、貧乏人はパンを食え!である。