サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2024年2月 4日号
「馳せ参じない」石川県知事より「令和の田中角栄」が必要だ!
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牧太郎の青い空白い雲/932

 能登半島地震から約3週間。被災地には、迷彩服を着て町をうろうろする〝ニセ自衛官〟や高額なブルーシートを売りつける悪質業者が現れたり......。「良くないニュース」が多いが、その筆頭は「馳(は)せ参じない石川県知事」の動向だ。

 地震発生の元日、自宅のある東京都内にいた馳浩知事。そのまま首相官邸に向かい、その日のうちにヘリコプターで石川県に戻った!と報道されたが、その後、どこにいるのか?よく分からない。4日に各市町とのオンライン会議に出席、8日に金沢市内の体育館に設置された「一時的避難施設」を視察したことは確認したが、地震後、初めて行われた10日の記者会見まで馳さんの姿はよく見えなかった。

 この記者会見で「13日に岸田文雄首相と能登の被災地を訪れる意向」を明らかにしたが、馳さん、地震後の10日間、被災地に一度も入っていなかったとの話も伝わる。まさか? 知事が被災地に行っていない! 被災地に一度も足を向けなかった知事が「首相の案内役」をするとしたら......。腹が立った。県知事の一番の仕事は「災害から県民を守る」ことじゃないのか?

 インフラがない江戸時代でも、各地の「大名」たちは地震・火事・水害・干魃(かんばつ)・疫病......。たび重なる危機に立ち向かった。藤堂藩(三重県津市)を例に、災害被災者救済に動く大名を描いた『災害とたたかう大名たち』(藤田達生著)、大阪湾に注ぐ淀川・大和川水系の砂防を始めた『土砂留め奉行――河川災害から地域を守る』(水本邦彦著)などの文献を読めば、江戸時代の「地方自治体の長」は全力を挙げて災害と戦っている。大名も奉行も「災害の現場」にいた。

 昭和40年代、庶民派の田中角栄(元首相)という政治家はいつも「災害の現場」にいた。1967(昭和42)年8月28日の羽越豪雨。新潟県下越地方から山形県西部にかけての広い範囲で河川が氾濫。土石流に巻き込まれ死者・行方不明者142人、重軽傷者608人、床上・床下浸水約7万7242戸という大惨事だった。

 角さんは、地元・新潟だけでなく、山形の「現地」にも飛び、最終的に孤立した部落を「平地」に集団移転。12億円をかけて奥地にトンネルを造った。22歳で新潟支局の駆け出し記者だった僕は、角さんが「親、子、孫が故郷を捨てず、住むことができるようにするのが政治の基本」と話したことに感動した。

 馳さんも頑張っている!と思う。しかし「現場」に行かなければ「県民の本音」が分からない。

 自民党の小泉進次郎元環境相は募金箱を抱え、子どもとハイタッチ写真を投稿。《「募金をやってくれてありがとう」と何人からも声をかけて頂きました》なんて報告しているが。それが政治家の仕事か? 被災地は「令和の田中角栄」を待ち望んでいるのではないか。

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