サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2022年8月14日号
権力が隠す「もう一人の祖父・安倍寛」と自衛隊代表議員の落選
loading...

牧太郎の青い空白い雲/873

 誰にも「おじいさん」は二人いる。

 凶弾に倒れた安倍晋三元首相にも二人。コトあるたびに「母方の祖父・岸信介」の存在は報じられるが、なぜか「父方の祖父」、つまり「安倍晋太郎(元外務大臣)の父・安倍寛(かん)」は殆(ほとん)ど紹介されない。

 晋太郎さんが「一番尊敬している政治家は父・安倍寛」と言っていたのに、晋三さんの代になってから「我が家のおじいさんは岸信介だけ」のような扱いである。

「晋太郎番」の記者だった当方、晋三さんの国葬を前に、あえて「非戦の政治家・安倍寛」のことを書いておきたい。

 安倍寛は1894(明治27)年、山口県大津郡日置(へき)村(現・長門市)に生まれた。4歳までに両親が相次いで死去。けっこう苦労したらしい。頭は良かった。金沢市の旧制第四高等学校を経て、東京帝国大法学部政治学科を卒業。卒業後は東京で自転車製造会社を起こしたが、関東大震災で倒産。山口県に戻り「金権腐敗打破」を叫んで、初の25歳以上男性による普通選挙になった「第16回衆院選」(1928年)に立憲政友会公認で山口県1区から立候補したのだが、落選。

 結核持ちだった。病と闘いながら、頼まれて村長、県議を務め、37年の総選挙で「非戦・平和主義」を唱えて無所属で立候補。「番狂わせ」で初当選した。「翼賛選挙」といわれた次の総選挙でも、東条英機らの軍閥主義を鋭く批判、大政翼賛会の推薦を受けずに最下位当選。在職中は命がけで東条内閣退陣要求、戦争反対、戦争終結を主張。大政党の金権腐敗を糾弾する清廉潔白な人!という評判で、地元では「大津聖人」と呼ばれた。

 戦後は、「日本進歩党」に加入したが、戦後初の総選挙直前、心臓麻痺(まひ)で急死。51歳だった。

 この頃、息子の晋太郎さんは東大生。父親の「地盤」を継ぐことなく毎日新聞社に記者として入社した。岸信介の長女・洋子さんと結婚したのは51年。次男・晋三さんは「父方のおじいさん」に会うことはなかった。「二人の祖父」は共に歴史に残る政治家だが「平和」に対する考え方は微妙に違う。

 今回の参院選でも、晋三さんは声高に「憲法改正・防衛力強化」を訴え、自民党は圧勝した。祖父・岸信介流の国防意識が国民から支持されたようにも見えるが......。しかし、新聞・テレビがほとんど取り上げない「まったく正反対の結果」もある。現職自衛官約24万人、OB家族合わせて100万人の防衛ファミリーの代表議員「宇都隆史」(47)候補が3期目を目指したが、まさかの落選(自民党比例区で10万1840票で21位)。航空自衛隊OBで積極的な憲法改正推進派が落選したのだ。ウクライナ戦争で国防意識が高まるほど「自衛隊代表」に票を入れない! 戦争放棄、軍隊を持たない!と考える「安倍寛流の平和主義」も生きているのだ。

うさぎとマツコの人生相談
週刊エコノミストOnline
Newsがわかる
政治・社会
くらし・健康
国際
スポーツ・芸能
対談
コラム