牧太郎の青い空白い雲/866
前回、「知床観光船の悲劇」に関連して、
〈「アイヌ文化」と「開拓を夢見た本土文化」が混ざり合った北海道の歴史は150年余。いま道民は「札幌一極集中の始まり」に右往左往している〉
と書いたら、物書き仲間の友人から「北海道ものを書く時は気をつけないとヤバいぞ」と言われた。
彼の念頭にあったのは多分、北海道日本ハムファイターズの巨大広告の話だろう。
2015年11月、北海道・新千歳空港に張り出された日本ハムファイターズの巨大広告「北海道は、開拓者の大地だ。」にアイヌ協会などが「遺憾だ!」と抗議した騒ぎだろう。あの時、球団は「配慮に欠けたことはお詫(わ)びすべきとの理由から可及的速やかに取り下げる判断に至りました」と巨大広告を撤去した。
確かに、長い歴史の中でアイヌの人々が差別されたことは事実だ。
国会審議でも「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」などと決議している。
だからといって「北海道は、開拓者の大地だ」が歴史誤認で、アイヌの人々を傷つける表現とは思わない。
前回、たび重なる水害に苦しんだ「福井県大野郡」の人々が日本海を渡り、北海道の大地に足を踏み入れて未開の地を開拓し、その中心地に「幸福」という名の駅ができた!と書いたが、明治以降、我々の先祖は汗と涙で原野を開拓して豊かな北海道を築いた。
僕の父方の祖父・小林幸三郎、祖母・小林古めの夫婦は、故郷の石川県鳳至(ふげし)郡島崎村(現・穴水町)を捨て、北海道に渡っている。我々先祖にとって、北海道は間違いなく「開拓者の大地」なのだ。
ごく普通に考えて、我々の祖先は少数だったが、アイヌの人々と、時に敵対し、時に協力して生き続けた。事実、江戸時代の松前藩の資料には、アイヌとの「付き合い」が克明に記録されている。
もう一度、我々は「土地の歴史」を学ぶ必要があるのではないか。
というのも、ロシアの中道左派の野党「公正ロシア」のミロノフ党首が「日本はロシアに対して、繰り返しクリル諸島(北方領土と千島列島)に関する主張を繰り返してきたが、一部の専門家によると、北海道の全権はロシアにあるという」「現時点でモスクワではこの話題は提起されていないが、東京の対決路線がどこに向かい、ロシアがどう対応しなければならないかは不透明だ」などと〝脅し文句〟を用意しているからだ。
ロシアが「北海道はアイヌ人と我々のもの」なんて言い出すと面倒ではないか?