牧太郎の青い空白い雲/843
月に2回は浅草に行くが、観光スポット「雷門」には足が向かない。江戸っ子の性分なのか?「田舎から見物に来た〝お上りさん〟」と見られるのが嫌だ。客待ちの観光人力車に声を掛けられるのが面倒臭い。
それでもコロナ感染も一段落。外国人観光客ゼロの浅草にも、それなりに活気が戻ってきた!というので、1年ぶりに「雷門」を覗(のぞ)いて仰天した。
あの老舗「ちんや」が店を閉めていた(2021年8月16日より閉店)。
明治生まれのお袋は「ちんや」の娘さんと女学校が同窓で「牛鍋はちんや!」と決めていた。
お袋の話では「ちんや」の家系は獣医兼ペット屋。江戸時代、諸大名、豪商にペットとして「犬の狆(ちん)」を販売していた。だから屋号が「ちんや」。
モノの本によると1880(明治13)年「牛鍋屋」(今で言う「すき焼き」)を開いたらしい。
一時は浅草だけで「牛鍋屋」は約150軒。爆発的人気のグルメだったが......その代表的な店が約140年の歴史を閉じた。
張り紙に〈すき焼き屋という場は、そもそも人と人とが密になる場でありまして、そこが素晴らしさでございますが、コロナ禍ではそれが仇(あだ)となり、困難な営業を続けてまいりました〉とある。
ご苦労が身に染みる。
その昔、お袋が経営不振で料亭「柳橋・深川亭」を閉めた時のことを思い出した。文政年間、高級天ぷら「金ぷら」を考案した祖先・深川亭文吉に申し訳ない!と涙ぐんでいた。
全国各地、コロナとの戦いで、多くの老舗が〝戦死〟しているのではあるまいか?
世界一の観光地・京都が気になった。「お上りさん」気分で、年に3回は長逗留(ながとうりゅう)しているが、ここ2年間、全く御無沙汰である。
地元の知り合いによると、この夏、銀閣寺も清水寺も伏見稲荷大社も閑古鳥(かんこどり)が鳴き、お土産屋も、食いもの屋も店を閉めていた。
「京都市は10年以内に財政が破綻しかねない」と門川大作市長が嘆いたようだが「一千年の都」まで〝戦死〟しようとしている。
正直言って「消費税ゼロ!」で観光、飲食業を助けなければ......という思いだ。
ただ一つだけ、嬉(うれ)しかったのは「ちんや」の心意気。
〈破産・廃業ではなく、商いの再開・再生を期してまいりますので、ご安心下さいませ。感染収束が遅れる中、再開には困難が伴うと存じますが、心折れることなく時を待ちたいと思っております。「上を向いて歩こう」("Sukiyaki")を口ずさみながら〉
江戸っ子の痩せ我慢!
嬉しいじゃないか。