牧太郎の青い空白い雲/821
リーダーが「思い出噺」に酔い痴(し)れる時、組織は必ず衰退する。
約80年前(1940年頃)大日本帝国は官庁・陸海軍・民間から若手エリートを選び「国の行く末」を率直に議論する内閣直轄の「総力戦研究所」を作った。
メンバーは陸軍、海軍、外務省、内務省、大蔵省、農林省......の官僚ら「国の知恵袋」。日米戦争を想定した「総力戦机上演習」を行った。
兵器増産の見通し、食糧・燃料の自給度、運送経路、同盟国との連携など各種データを詳しく分析した結果、彼らは「緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至。その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能である」と結論づけた。
どこから見ても「日本必敗!」である。
ところが、時の陸相・東條英機は「思い出噺」を持ち出した。
〈これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているような物では無い。日露戰争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然(しか)し勝った。あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない〉
精神論で勝てる!というのだ。
「思い出噺」に酔った大日本帝国は3カ月後、開戦に踏み切る。「机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならない!」と言われた若手エリートは、沈黙せざるを得なかった。
そして日本は敗けた。
東京五輪開催問題が最大のテーマになった党首討論。菅義偉さんも「思い出噺」を持ち出した。
「実は私自身、57年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけれども、いまだに鮮明に記憶しています。それは例を上げますと、たとえば〝東洋の魔女〟と言われたバレーの選手、回転レシーブというのがありました。喰いつくようにボールを拾って、得点を上げておりました。非常に印象に残っています。また底知れない人間の能力というのを感じました。マラソンのアベベ選手も非常に印象に残っています」
オツムの悪い?指導者は今も昔もピンチになると「思い出噺」に逃げ込む。
感激をもう一度!
そのためには「コロナ感染拡大」なんて気にするな!である。
五輪強行開催→9月ワクチン接種50%完了→10月衆院解散・総選挙→菅自民党、ちょっぴり勝利(→行く行くコロナ大増税)のシナリオ通りに行きますかどうか?
それにしても、いつの時代も国民は犠牲者!なんだけど。