牧太郎の青い空白い雲/817
コロナ格差が甚だしい。
例えば大相撲夏場所。4大関の成績に「格差」が現れた。
コロナ騒動で「出稽古(げいこ)」ができない。照ノ富士が所属する伊勢ケ濱部屋には関取が5人。貴景勝の常盤山部屋にも4人。稽古相手には困らない。が、時津風部屋の正代、高砂部屋の朝乃山には弱い弟子ばかりで稽古相手がほとんどいない。
相撲は稽古の量、稽古の質で〝勝敗〟が決まる。場所前、稽古ができなければ「強い大関」でもあっさり負ける。
コロナ騒動から1年半近く経(た)って、すべての面で「格差」は激しくなった。医療崩壊が進む地域では、入院できない人の「格差死」が現実になっている。
格差の最たる出来事は「死後」に起こる。5月中旬、インド東部ビハール州当局は「新型コロナウイルス感染症の犠牲者と思われる遺体71体がガンジス川河畔に漂着しているのを発見した」と発表した。
インドでは農村地域で、新型コロナが猛威を振るい、毎日、何千、何万の規模で犠牲者が出ているのだが、貧しい遺族は伝統的なヒンズー教の火葬に使う「薪(まき)」が買えず、遺体を川に流しているのだ。
他人事ではない。日本は「人口100万人あたりの死亡者数が94・1人」。
中国の3・4人、韓国の37・4人と比べると死者の割合が多すぎるのだ。
そこで「ワクチン格差」が生まれた。
76歳の当方、5月後半、ワクチン接種の予約が始まるようだが、ネットでの申し込みが難しくて......。電話で済まそう!と思っているのだが、知人が言うには「一日中、電話を掛け続けたが、繋(つな)がらなかった」。不安だ。
(ネットは便利!だと言うけれど、当方は原始的なやり方が良いと思っている。往復葉書(はがき)を使って、抽選で日時を決め、届いた葉書を持って医療機関に行けばよいじゃないか?)
ワクチン格差が言われているのに、町や村のトップが65歳以上の高齢者でもないのに、ズルをして早く接種したケースが現れた。ある町長は「抜け駆け」の理由を「接種会場となる保健センターの開設者である私も医療従事者の一員となりました」と屁理屈を並べる。
ああ、情けない。
もし、当方が町長だったら「住民の希望者全員の接種が終わった時点で、町長、助役は接種します」と宣言するだろう。
そうすれば、町民から「町長は大事なお仕事。一番先に接種してくれ!」と言う声が上がるだろう。
「コロナ格差」は避けられないかもしれない。
だから、格差に克(か)つには「お互いの人間力」しか存在しないのだ!