サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2021年4月11日号
少数意見とは思うが破天荒にカネをばら撒く「良い接待」もある
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牧太郎の青い空白い雲/810

 もう一回だけ、花柳界の昔噺(ばなし)をしたい。

 料亭、待合(貸席業)、芸者置屋が集まる東京柳橋の花柳界は誰かが、誰かを〝接待する街〟。

 今、話題の「総務省官僚に対する高額接待」とは比べものにならない「究極のお遊び」が用意されていた。

 昭和20〜30年代、実家の料亭「深川亭」では......料理はもちろん超豪華、時には老舗の寿司屋の職人を呼び、お座敷で握って貰(もら)う。

 客の人数分、芸者衆がつく。半数が10代の「お酌」(舞妓(まいこ))。「頃あい」を見て「総踊り」を披露する。幇間(ほうかん)の悠玄亭玉介さんが呼ばれることもある(真夏でも羽織を着て、小学生にも「よう、若旦那!」とお世辞を言った)。

「遠出(とおで)」という「お遊び」があった。宴会の途中に屋形船を貸し切って隅田川を向島に向かう。名物の言問団子を食べる。これは芸者衆に「遠出手当」を支給するためだ。客と一緒に150㍍ぐらい散歩して柳橋を渡るだけで「遠出手当」が出た。

 どうやら、誰かが、誰かを接待するのではなく、お大尽が料理屋、芸者衆、寄席芸人、船宿......花柳界というサービス産業にカネをばら撒(ま)いていたのだ。

 実家の「深川亭」には昔から「イナ代を座敷に入れるな!」という〝決まり〟があった。「イナ代」とは「田舎代議士」の略(差別用語!とお叱りを受けるかもしれないが、当時の「業界言葉」なのでお許し願いたい)。

 出来の悪い政治家、官僚たちは「お座敷遊び」に夢中になり、料亭は贈収賄の舞台になってしまう。イナ代絡みは「悪い接待」と母は言った。

 でも、政治家、官僚を拒否して商売になるのか?

 758回の「初代鈴久も『二代目』も中江滋樹も...『相場師の人生』は儚(はかな)い」で若干触れたが、「深川亭」を贔屓(ひいき)にしてくれたのは相場師だった。

 明治30年代、日露戦争景気で巨万の富を得た鈴久(鈴木久五郎(きゅうごろう))。僕が小学生の頃は「2代目鈴久」と言われた藤綱久二郎さん。昭和27年、三菱地所の前身、陽和不動産の株式を買い占め、大儲(もう)け。「証券取引所の給仕上がり」の藤綱さんは「芸者供養」と言って芸者衆の背中に1000円札をペタペタ貼って喜んでいた(5000円札も1万円札もなかった)。

 終戦後、花柳界に身を置く人々は「貧乏」だった。だから相場で稼いだカネを奇麗に、ばら撒く!と、お大尽たちは考えていたのか?

 少数意見とは思うが、世の中「良い接待」が存在する!

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