サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2020年1月 5日号
令和2年の大予想!(5) 天皇訪米が先か、上皇訪韓が先か?
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牧太郎の青い空白い雲/749

一見、穏やかな年末。しかし、今年(平成31年=令和元年)は天皇家が「明治以来の権力者」に反旗を翻し〝革命〟に打って出た「過激な年」だった。

古代中国、孟子の儒教は王朝の交代を「革命」と捉えていた。〈天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせる。しかし、徳を失った「王朝」に天が見切りをつけた瞬間「革命」(天命を革(あらた)める)が起きる〉それを悟って、君主が自ら位を譲る。「禅譲」である。それが実現しなければ、君主が武力によって追放されることを「放伐」と言った。その結果「(君主の)姓が易(か)わる」。「易姓革命」である。

日本で、この「易姓革命」を恐れたのが「長州」主導の明治政府だった。江戸時代まで「改元」は比較的頻繁に行われていたが、明治政府は「一世一元」を強行。自らの支配体制を永続させるため、天皇が崩御したとき以外の「改元」を禁止した。明治、大正、昭和、全て「一世一元」だった。

その「長州」支配体制に抵抗されたのが「平成の天皇」だった。

民間から「お妃(きさき)」を選んだ。美智子さまは子供たちを自ら育てた。「革命」だった。お二人は、再三、災害被災地に赴き、床に膝を折り「民」と同じ目線で話された。天皇と「民」の一体化。これも「革命」だった。

そして、お二人は生前退位→お代替わりで「一世一元」を否定する「革命」に着手された。「天皇」の名前を勝手に利用して、軍国主義に突っ走った「長州支配」に抵抗するかのように。生前退位の平成31年4月30日は「天皇家の革命記念日」だった。

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「長州支配」の申し子、安倍晋三首相は「天皇の革命」に気づき、平成28年8月8日の「おことば」にイチャモンを付けた。「天皇のすべての行為には内閣の助言と承認が必要」という理由で原文を〝添削〟。安倍さんは「摂政」を置き、退位を認めない!と主張した。しかし、平成の天皇は強い意向で「摂政否定」を貫いた。

そこで、安倍首相は「新元号」で対抗した。「令和」は首相の指示で3月に追加提案されたもの。わざわざ記者会見を開いて「歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定しました」と強調した。「初めて国書」という説には異論がある。確かに、万葉集の〈梅花の歌三十二首〉の序文に〈初春令月、気淑風和〉という一節がある。ただ、この一文は、後漢の文学者・張衡による「帰田賦(きでんのふ)」の一節〈於是仲春令月 時和気清〉を踏まえて書いたもの。「令和」のお手本は「漢籍」なのだ。

   ×  ×  ×

11月10日の即位パレードで、安倍首相は天皇、皇后両陛下のオープンカーの前を走る自分の車の窓を開け、沿道の観衆に天皇陛下より先に自ら手を振った。秋篠宮ご夫妻は窓を開けず「一歩下がった」対応だったのとは大違いだ。

しかも、NHKの特番で、安倍首相お気に入りの女性記者が「前回=1990(平成2)年=のパレードで海部(俊樹)総理は車の窓を閉めていましたが、今回、パレードをサポートする立場の安倍総理は、できるだけ沿道の人たちに近い立場でともにお祝いをしたいと考え、車の窓を開けることにしました」と解説した。

   ×  ×  ×

上皇さま(平成の天皇)と安倍首相の争いは令和2年も続くだろう。安倍官邸は外務省を通じ、アメリカに「天皇訪米」を打診している。「生前退位」の利点で「喪に服する」必要がないので「トランプ夫妻来日」の返礼として令和2年中に実現可能だ。

しかし、大統領選のまっただ中である。新天皇がトランプ応援のために?訪米するとしたら「究極の皇室の政治利用」。天皇家はどう思うのか?

それより上皇さまにとっては「韓国」である。昭和天皇は亡くなるまで訪中を熱望。「平成の天皇」がこれを実現した。天皇家にとって「訪韓」は中国訪問と並ぶ「戦後日本の最大の課題」なのだ。

日韓関係は最悪である。安倍内閣は「悪いのは、約束を破る韓国」の一点張りだが、根っこには「歴史認識の違い」がある。安倍首相は終戦記念日に「反省」を言わなくなった。「平成の天皇」は、代わって「深い反省」を言うようになり、天皇陛下もこれを踏襲された。

天皇家は、上皇さまは、今こそ「訪韓」!と思われているのではあるまいか?

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ここ5回にわたって「令和2年の大予想」を書いたが、残る大予想は「単細胞の安倍政権の終わり」。さて的中するか?

読者の皆さん! 令和2年が「元気な日本が蘇(よみがえ)る年」になりますように。

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