サンデー毎日

コラム
青い空白い雲
2019年5月 5日号
「平成」で一番愉快な日に"政治家の劣化"を見た!
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牧太郎の青い空白い雲/716

平成から令和へ。「お代替わり」まで約1週間。この30年、僕は何を経験し、何を学んだのか?
殺されそうになったこともあった。1989(平成元)年秋、『サンデー毎日』の編集長だった僕は「オウム真理教の狂気」という渾身(こんしん)のキャンペーンを展開していた。「宗教の仮面」を被(かぶ)った集団が「民主主義の不備を突いた犯罪行為」を続けている。警察も、行政も、メディアも「信教の自由」という理由で犯罪集団を放置している。許せない。『サンデー毎日』はメディアとして初めて「オウム真理教」の正体を暴いた。
その年の11月3日夜のことだと思う。教祖・麻原彰晃(昨年刑死)は「教団の敵、牧をポアしろ!」と命じた。「ポア」とは殺害することである。僕のマンションを信者が取り囲んだが、この日、古い友人と酒を飲んだりして帰宅しなかった。
「牧は帰らない!」と報告を受けた麻原は一転して「ポアするのは弁護士!」と命令を変更。その夜(我々の取材に協力してくれた)坂本弁護士一家が殺害された。
この事実を知り、僕は苦しんだ。「正義の報道だったが、あのキャンペーンをしなければ......」。坂本弁護士一家に申し訳ない。平成時代、このことが脳裏を離れず辛(つら)い。今でも、胸が痛い。
  ×   ×   ×
病気で死にそうになった。91(平成3)年12月4日夜、脳卒中で倒れた。三日三晩意識不明が続いたが、何とか、一命は取り留めた。編集長職はクビ。半身不随の一級身障者になった。人生観はガラリと変わった。他人の手助けがないと生きていけない。
しかも、以来、病気のデパート。ひっくり返ってけがをするのは日常茶飯。股関節の骨折で手術。白内障の手術、脱腸の手術、3年前は「肺がん」で手術......。
「平成」はちょっぴり「試練」の毎日だった。
   ×  ×  ×
でも、ただ今74歳。今でも「物書き」として健在。愉快なことも多かった。
2007年5月27日の東京優駿(日本ダービー)。友人のタレント、みのもんたを誘って、一緒に観戦した。彼は同い年。毎日新聞社を同時に受験した仲だ。みのさんは初めての競馬観戦。そのみのさんのところへ、来賓席の安倍首相から携帯。どこかで情報をキャッチしたのか「こっちへ来たら?」と誘う。みのさんは適当な理由をつけて、僕と一緒に観戦した。一国の首相が情報番組のキャスターを大事にする。政権の世論操作はここまでやるのか?と驚いた。
もう一つ、ちょっと気になったことがあった。首相がダービーに来ているのに、所管の農水相が欠席している。当時の農水相は「安倍さんの一の子分」と評判の松岡利勝さん(亀井派だったけど)。農水省のお役人から政治家になったので「ダービー」には「特別の思い」があるはずだが......。実は、この頃、彼の資金管理団体の"妙なカネの流れ"が世論の批判の的になっていた。安倍さんは「ダービーを遠慮してくれ!」。「松岡疑惑」は第1次安倍内閣の致命傷になりかねない雰囲気だった。
この頃から、政治家がカネの誘惑に負けるケースが続発する。「平成」の恥ずかしい一面である。
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ダービーでは、牝馬ウオッカが17頭の牡馬をなぎ倒し、タイム2分24秒5で圧勝した。1937年のヒサトモ、43年のクリフジに続く史上3頭目の牝馬制覇。日本中が沸いた。
馬券は的中した。3連単3―16―14。2039番人気で215万5760円。僕の競馬人生で、最高配当額である。「平成」で一番、愉快な日だった。
その翌日である。ワイドショーで、みのさんが「友達が万馬券を取った!」と話したので、記者仲間から「奢(おご)れ!」という電話が3件。でも、まんざらでもない。まだ「ウオッカ」に酔っていた。
ところが、1時間後、真っ青になった。松岡農水相が衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)で首をつっているのを警護官らに発見された。慶應義塾大学病院に運ばれたが。死亡が確認された。
他殺説もあったけど、覚悟の自殺。62歳だった。戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目の現職閣僚の自殺である。しばらくして、安倍さんは政権を投げ出した。
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「令和」まで1週間。読者の皆さん、あなたにとって「平成」で一番記憶に残ったのはいつでしょうか? どんな思い出だったでしょうか? 悲しいこと、嬉(うれ)しいこと......思い出いっぱいの「我らの平成」、サヨウナラ!

太郎の青空スポットは、今号はありません。

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