クラシックギターでの弾き語り、という独自のスタイルで歌い続けるシンガー・ソングライターの長谷川きよしが、7月にデビュー55周年を迎え、東京文化会館(東京・上野)と杜(もり)のホールはしもと(相模原市)で記念コンサート「一人ぼっちの詩」を開いた。
往年のファンを中心に会場を埋め尽くした聴衆を前に、ひとりギターを奏でた。デビュー曲の「別れのサンバ」などオリジナル曲をはじめ、「愛の讃歌」「黄昏のビギン」など13曲を披露した。夫婦で訪れた70代の女性は「何十年ぶりかでライブを見ることができたが、変わらない歌声に魅せられた」と感嘆した。
1949年東京生まれ。2歳半で失明した長谷川は、幼いころからラジオ・テレビを通しさまざまなジャンルの音楽を吸収し、小学6年生のころからギターを弾く。18歳でシャンソンコンクールに出場し4位入賞。これがきっかけでシャンソン喫茶・銀巴里に出演すると、音楽業界のプロの目にとまり、69年7月、「別れのサンバ」でレコードデビューした。
このころ日本は高度経済成長のただなかにあったが、一方で、学生運動や公害問題などで社会は揺れ動き、この年の初めには東大の安田講堂をめぐる学生と機動隊の衝突があった。若者の間ではメッセージ性のある自作の曲をギターで弾き歌う「フォーク」がはやっていた。
ギターを弾き、オリジナルを歌う、という点から長谷川もまたフォークに分類された。しかし、アメリカのフォークの流れをくむアコースティックギターによるフォークとは全く異なり、ブラジル音楽やシャンソン、ジャズなどの影響を受けた長谷川の音楽は、ナイロン弦のクラシックギターを高度なテクニックで弾き、歌うという独特のスタイルだった。
「別れのサンバ」は、ボサノバ調のマイナーなメロディーを、フラメンコタッチのギターをバックに、しなやかで強い歌声できかせる。大人の別れの歌だが「人の心に嵐を巻き起こすような歌をつくりたかった」と、長谷川は言う。
発売当時の反応は鈍かったが、年の終わりに当時の若者が熱中したラジオの深夜放送で流れるようになると一気に広がり、ヒット曲となった。
その後、加藤登紀子とのデュエットによる「灰色の瞳」や「黒の舟唄」などをヒットさせ、女優吉行和子とのコラボレーションなど音楽以外のジャンルでも活動。近年ではNHKの「SONGS」に出演、若者のファンも得た。
記念コンサートを終えた長谷川は「はやり廃りの激しい音楽業界の中で、よくここまでやってきたなと我ながら思う。自分のスタイルを守り続けてきたので生き残れたのかな」と語る。
9月末には自伝『別れのサンバ 長谷川きよし歌と人生』(旬報社)を筆者との共著で出版する。白杖(はくじょう)とギターを抱えて夜の東京を歩いた青年時代の体験をはじめ、デビュー後にメディアで常に「盲目の」という枕詞(まくらことば)で紹介されることへの反発、そして一度は音楽をやめてマッサージ師として生活したことなどの半生が赤裸々に語られている。
(川井龍介)
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◇かわい・りゅうすけ
1956年生まれ。ジャーナリスト。毎日新聞記者などを経て独立。著書に『122対0の青春』『数奇な航海 私は第五福龍丸』など