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2020年9月27日号
岩切徹が斬る!「あ・ま・く・な・い」夏ドラマ採点簿
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何だかドラマが面白い。そう思えるのはリモート生活の成れの果てか、あるいは作り手が実力、底力を見せたのか。撮影中断などコロナ禍で生じた想定外を乗り越え、各局がしのぎを削っている。本誌おなじみ岩切徹氏も、黙っては「い・ら・れ・な・い」?

今季は、ドラマと舞台の関係についていろいろ思うところがあった。

昨年末、下北沢・本多劇場で「神の子」(作・演出、赤堀雅秋)という舞台を観(み)た。大森南朋(なお)、田中哲司、でんでんがその日暮らしの路上警備員の役で、長澤まさみと石橋静河(しずか)が街頭のゴミ拾いボランティア活動家、江口のりこがスナックのママの役で出ていて、どこか今年3月に亡くなった別役実(べつやくみのる)の世界に通じるような、閉塞(へいそく)的でどん詰まりの状況から抜け出せない人々の物語だった。一種の不条理劇といってもいいだろう。

かつて「ハゲタカ」(NHK、2007年)で日本企業を買収する冷徹なグローバリストを演じてブレークした大森は、ここではエリート臭をすっぽり差っ引き、逆にグローバリズムの末端の末端でもっともしわ寄せをくいながら、それでもヘナヘナ笑いを顔に貼りつけている善良な男を演じていた。引き算のうまい俳優である。

そして今季、彼が多部未華子と共演していたのが「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS、16年)の男女逆転版ともいうべき構成の「私の家政夫ナギサさん」(TBS)なんだね。ここで大森は〝男らしさ〟というジェンダーを根っこから引っこ抜き、「小さいときからお母さんになりたかった」というナギサさんを演じていた。といっても彼の恋愛対象はあくまで「女」であり、女性のフリや女装をするわけでもないのに、ナギサさんの包容力のある笑顔に母性を感じたのはぼくだけではなかろう。ここでも大森の引き算が効いていた。

松岡昌宏は引き算の演技ができないから、余計なものをくっつけてしまい、ますますうるさくなっていたのが今季の「家政夫のミタゾノ」(テレビ朝日)である。

「逃げ恥」で一躍脚光を浴びたのが脚本家の野木亜紀子だった。しかし、主人公が自分たちの興奮をテレビ番組のインタビューに応えるというかたちで挿入するアイデアもすでに原作漫画に描かれていたし、あのドラマは何より原作者・海野つなみの手柄だというのがぼくの考えだ。

野木自身もそう感じていたのだろう、その後数本、試行錯誤していたが、出来栄えは今一つ。そして古舘寛治×滝藤賢一の「コタキ兄弟と四苦八苦」(テレビ東京、20年1〜3月)という地味ーなドラマを発表。タイトルに仏教用語が多用されていたからそれ風にいうと、半端な自力クンと半端な他力クン兄弟が1時間1000円でレンタルおやじを始める話である。

そして兄弟の減らず口とムダ口、憎まれ口のかけ合い・堂々巡りのうちにドラマは終わるのだけれど、見ているうちに、あ、これは不条理劇の古典「ゴドーを待ちながら」の野木版だなと思い至った。四苦八苦してようやくここに辿(たど)り着いたんだね。

その自力クン・他力クンの間合いを刑事の野性クン・理性クンに移植したのが、綾野剛×星野源の「MIU404」(TBS)である。とにかく2人のやりとりが楽しいし、展開の速さも心地いい。この作品の登場で、刑事の相棒ものが一気に若返ったんじゃないかな。

後半に悪の化身・久住役として姿を現した菅田将暉(すだまさき)の演技も見応えがあった。去年11月にカミュの代表的な不条理劇「カリギュラ」に主演していた菅田は、オレこそ不条理だと言わんばかりに、汗びっしょりになって全身で喚(わめ)いていたが、ここでは汗一つかかず、さっぱりした笑顔で悪事を重ねていた。彼の演技を追うとミシン縫いのように意識と無意識のレベルが縫い込まれていき、目が離せなくなる。サブリミナルな俳優なんだね。どんでん返しを繰り返したあと、逮捕された久住の顔から笑みが消え、一瞬そこにカリギュラが顔を覗(のぞ)かせていた。

と思わず不条理という言葉を何度も使ってしまったのだが、ウソばっかりの政治、出口のない金融政策、そこへコロナ禍という世界的・歴史的な災いに不意を突かれ、その圧倒的に不条理な世界の前で多くの人が自分の無力・無能・無意味さを味わいながらマスクを着けて立ちすくんでいる時代である。カミュの『ペスト』が売れているのも故なきことではない。暴君カリギュラは叫んでいた、「この私がペストの代わりをつとめる!」と。

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