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2024年5月19日号
社会 川辺川ダムが建設へ前進 2020年の集中豪雨被害が契機
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「おどま盆限(ぎ)り 盆限り......」の「五木の子守唄」の故郷で60年近く止まっていた大事業が動いた。


 熊本県南部を流れる川辺川沿いの相良(さがら)村に治水名目で計画されていた「川辺川ダム」について、上流に位置する五木村の木下丈二村長は4月21日、約140人が参加した村民集会で、「流水型ダムを前提とした村づくりに向け、新たなスタートラインに立つべきだ」と発言し、建設容認を示した。

 沈黙してきた同村長の意思表明で総貯水容量1億3000万㌧という国内最大級の流水型ダムの建設がほぼ確実となった。国土交通省は2027年着工、35年度の完成を目指す。

 旧建設省(現国土交通省)が同村でのダム建設の計画を発表したのは1966年だった。球磨(くま)川の支流の川辺川は人吉市付近で球磨川と合流する。人吉盆地の狭隘(きょうあい)な山間部を蛇行して八代海まで流れる球磨川は「暴れ川」として流域住民を氾濫で苦しめてきた。

 ダム建設で流域の集落が水没することや環境破壊などから反対運動も強かった中、地権者との合意が進み96年に五木村と相良村などが本体工事着工の協定を結んだ。だが「ダムによらない治水」を掲げて08年に知事に就任した蒲島郁夫氏が計画を白紙撤回する。さらに「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権で09年、八ッ場(やんば)ダム(群馬県)とともに計画が凍結された。

 転機は人吉市や球磨村などで計65人が犠牲となった20年7月の集中豪雨である。老人ホームでは逃げ遅れた女性が亡くなり、筆者も遺族を取材した。この年の大水害はダム計画の契機になった65年の水害(死者6人)よりも被害が大きかった。マイカーで取材中、通った直後に球磨川沿いの道路が崩落し、肝を冷やした。

 だが「あれだけの洪水ならダムがあっても意味はなかった」など反対論も根強く、当初は蒲島氏も「私が知事の間は計画の復活はない」としていた。しかし次第に「流水型ダムなら」とトーンが変わる。洪水対策に特化する流水型ダムは従来の貯留型ダムとは違い、通常時は空っぽで洪水時だけ水を貯(た)めて下流への水量を軽減するが、「貯留型」と変わらない巨大構造物となる。

 五木村は計画が持ち上がった頃の人口は5000人ほどだったが水没予定地の住民が移転したのを機に次々と人が去り、今年3月時点の人口は935人。今回、木下村長は「村の振興に国や県の支援が不可欠」と過疎化が止まらない中、本音も漏らした。国や県は100億円規模の支援を提示していた。<br>
 知事を4期務めた蒲島氏はこの4月で退任。結局、20年に運用開始した八ッ場ダムと同様、川辺川ダムは建設に向かうが、地元での強硬な反対論は影を潜めている。

(粟野仁雄)

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