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2024年6月30日号
経済 金融史に残る信託銀行の専業路線 三井住友トラストHD初代社長の矜持
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 日本経済の激動を生き抜き、信託銀行業界の再編を主導した田辺和夫氏が519日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。78歳だった。三井住友トラスト・ホールディングスの初代社長として、信託銀行の「専業路線」を貫き、メガバンクグループとは一線を画す存在へと導いたその手腕は、金融史に残る。

 1969年、東大経済学部を卒業して三井信託銀行に入社。高度経済成長期の終盤からバブル経済期にかけて、信託銀行業界の大きな変革を経験した。

 田辺氏の名前は、中堅社員時代から信託業界では知られる存在だった。「従業員組合の委員長も務め、企画部門のエリート社員だった。当時の大蔵省(現財務省、金融庁)を担当する、いわゆるMOF担で、将来の社長候補と目されていた」(元大手信託銀行役員)という。

 信託を主業とする専業信託銀行は当時、三菱、住友、三井、安田、東洋、中央、日本の7社が存在。個人から資金を集めて大企業を中心に長期融資を行う「長期金融」の担い手として重要な役割を果たしていた。

 しかし、90年代前半のバブル経済崩壊は、信託銀行業界にも大きな打撃を与えた。不動産、建設、ノンバンクへの過剰融資が不良債権となり、各行は経営危機に直面するのである。

 こうした状況下で、政府は金融機関の再編を推進。97年には北海道拓殖銀行が破綻し、信託再編の機運が高まった。金融監督庁(現金融庁)からさくら銀行(現三井住友銀行)との統合を打診されたが、三井信託銀行の専務であった田辺氏は強く反対した。

「信託銀行は信託を主業とするべきである。再編は信託銀行同士であるべき」という強い意思に基づき、田辺氏は三井信託銀行と中央信託銀行の合併を主導。2000年に中央三井信託銀行が誕生した。

 02年には、持株会社三井トラスト・ホールディングス株式会社が設立され、中央三井信託銀行と三井アセット信託銀行(さくら信託銀行より名称変更)を完全子会社化。11年には住友信託銀行と経営統合し、三井住友トラスト・ホールディングスが誕生した。田辺氏は初代社長として、この歴史的な統合を成し遂げた。

 この間、7社を数えた信託銀行は3グループに集約された。三菱信託、東洋信託、日本信託の3信託銀行が統合し、三菱UFJ信託銀行になり、三菱UFJフィナンシャル・グループの傘下入りをした。安田信託銀行は、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の3行が統合して誕生したみずほフィナンシャルグループ入りし、現在のみずほ信託銀行となっている。

 メガバンクグループに入らず、専業信託銀行を堅持しているのは三井住友トラスト・ホールディングスのみである。田辺氏の「専業信託」に寄せた強い意思はいまも受け継がれている。

(森岡英樹)

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