いまも世界中で読み継がれる、広島の被爆少年少女の手記『原爆の子』(1951年初版)。
戦後80年の節目に、最晩年を迎えた執筆者らがいま伝えたいこと。
1972年、執筆者らのグループ「きょう竹会」が発足。以来50年にわたり、年に一度集まり、被爆者の人生の苦悩を分かち合い、励まし合ってきた。本書では、同会会長である著者が自らの人生を振り返りながら、「原爆の子」らがこの80年をどのように生き抜いたのか伝える。最晩年を迎えた彼女らが次世代へ送る、生きるためのメッセージ。
【目次】
はじめに 『原爆の子』――私の生きる原動力
第一章 人生が一変した八月六日
幼少期のしあわせな記憶
戦時下のひそかな楽しみ
八時十五分 何もかも消えた
火の海を裸足で逃げる
二又川の土手で野宿
第二章 『原爆の子』手記を書く
忘れられない父母の姿
中学二年生「被爆体験」を書く
全裸で受けた身体検査
天職バスガイドになる
二十五歳 結婚
第三章 大人になった「原爆の子」
命をつなぎたい
「原爆の子きょう竹会」
不思議な訪問者
四十五歳 健康体操のインストラクターに
母の介護と私の闘病
第四章 未来への「遺言」
再び手記を書く
兄の無念を晴らしたい 伊藤キミ子さん
生き残ったことが後ろめたい 篠田恵さん
「一九八九年の私」奥育子さん
原爆被害者として核廃絶を訴える 坂口博美さん
平和への行動のエネルギー
返信ハガキの「ひとこと」
「ある被爆孤児の独り言」 小島純也さん
第五章 生きるメッセージを世界へ
被爆体験を語り始める
母の記憶を絵にする
思いがけない真相
命さえあればどうにかなる
好きを続けてその道を極める
第六章 二〇二四年冬 十年ぶりの再会
戦後七十九年目で「被爆者」に
母の最期の姿を描き遺す
地域のボランティアとして高齢者を見守る
伝承者の育成に注力
「広島音頭」に託す思い
【著者略歴】
早志百合子(はやし・ゆりこ)
1936年、広島市土手町(現・南区比治山町)に生まれる。9歳の時、爆心地より1.6キロメートルの自宅で被爆。1951年、中学校3年生の時、被爆体験を書いた手記が収録された『原爆の子』が刊行される。72年『原爆の子』執筆者らのグループ「原爆の子きょう竹会」が発足、後に会長となり現在に至る。99年、会員らの手記を再び集め『原爆の子 その後』を自費出版し、2013三年に改訂版を刊行する。60歳を過ぎてから被爆体験を伝える活動を始める。
また、40代で健康体操のインストラクターとなり、現在NPO法人「ステップ21」の代表。全国組織として各地でインストラクターが体操教室を運営し、自らも広島で指導にあたる。