サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2018年11月25日号
萩田光雄 編曲家
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阿木燿子の艶もたけなわ/228

歌謡曲黄金期の1970~80年代、中森明菜の「少女A」、布施明の「シクラメンのかほり」、久保田早紀の「異邦人」など数々の名曲の編曲を手掛けた萩田光雄さん。山口百恵さんの楽曲を通じ、阿木さんともご縁が深い間柄です。旧交を温め合う会話の中に、作詞や作曲と違い、一般にはなじみの薄い編曲家の世界が垣間見られました。

◇昔はヒット曲づくりが第一目標だったけど、今は納得する仕事がしたい。

◇私と宇崎が書いた山口百恵さんの曲のほとんどが、萩田さんのアレンジ。

◇キャリア的には、阿木さんと僕、ほぼ一緒なんじゃないかな。

萩田 阿木さんとは長いお付き合いなのに、ほとんど話をしたことがないですよね。

阿木 本当に。レコーディングでも、すれ違いばかりだったし。

萩田 大体、僕達みたいなアレンジャーは、作詞家と会うことは滅多(めった)にない。

阿木 作曲家なら、まだしもね。でも、それでいてとても親しい気持ちでいるのは、同じ仕事に関わった共犯者意識なのかもしれませんね。私と宇崎(竜童氏)が書いた山口百恵さんの曲のほとんどが、萩田さんのアレンジ。本当にお世話になりました(笑)。

萩田 キャリア的には、阿木さんと僕、ほぼ一緒なんじゃないかな。

阿木 それにしても、今年も三浦祐太朗さんの「菩提樹」でご一緒させて頂いて、とても嬉(うれ)しかったです。

萩田 もちろん、メロディーは宇崎さん。

阿木 そう、だから凄(すご)いことだなと思って。宇崎、阿木、萩田のトリオで、百恵さん、祐太朗さんと親子2代の曲をやらせて頂くなんて。

萩田 僕達も年を取るわけだ(笑)。

阿木 「菩提樹」のアレンジは絶対萩田さんにお願いしようって、2人で決めていたんです。あの曲、宇崎と私の中では百恵さんのラストソングの「さよならの向う側」のアンサーソング的な意味合いがあって。

萩田 それ、聞いてなかったかも。

阿木 今、初めて言いました(笑)。「さよなら~」を書いた時には、百恵さんの引退が決まっていたので、"約束なしのお別れです"というフレーズを入れたんです。百恵さんって潔い人だから、二度と芸能界に戻ってこないだろうと思って。でも38年たった今、祐太朗さんの歌を通じて"また逢えるよね 約束しよう"というフレーズを改めて書き加えたんです。

萩田 そうか、そこに僕が気付けば「さよなら~」のエンディングからつなげたかもしれない(笑)。

阿木 その手もありましたね、残念(笑)。私達がこの年齢になって、こういうことがあるなんて、感慨深いですよね。私、人生も命も1回で終わりではなく、巡り巡ってゆくものだと思っているんです。だから、なおさら萩田さんとお仕事をさせて頂いたことが嬉しくて。

萩田 僕も一度、観させてもらったけど、フラメンコ版の「曽根崎心中」であの曲を使うの?

阿木 今度の新国立劇場の公演で、祐太朗さんに歌って頂こうと思っているんです。

萩田 「曽根崎心中」って、情念の世界だよね。阿木さんにもあるよね、情念。いや、それが詞を書く原動力になっている気が僕はするんだけど。

阿木 確かに。でも、それは現実の私の経験とはあまり関係なくて。だからといって妄想だけでもない。心の奥深いところでリンクしている感じかな。

萩田 それはそうだよね。体験だけじゃ、たくさんの作品は書けない。

阿木 私が情念だとしたら、萩田さんを突き動かすパッションって何?

萩田 僕の中にも情念はありますよ(笑)。と言いながら、笑っちゃうのも何だけどね(笑)。

阿木 今年、上梓(じょうし)なさった『ヒット曲の料理人』には、性格はウエットとあったけど。

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