サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2018年11月11日号
佐藤浩希 フラメンコ舞踊家
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阿木燿子の艶もたけなわ/226

日本を代表するフラメンコダンサー、佐藤浩希さんは、阿木さんがプロデュースする公演「Ay(アイ)曽根崎心中」で演出、振り付け、主演の徳兵衛役の三役を受け持つ"要役"。しかし、小学生時代はいじめに遭い、高校生から福祉の世界を目指していたといい、フラメンコとは無縁だったそう。阿木さんも知らなかった意外な過去を赤裸々に告白しました。

◇僕の幼少期って、一言で言うと凄く暗くて、"暗黒時代"だったんです。

◇福祉の仕事から、フラメンコダンサーへの転向は、どういう道筋だったの?

◇福祉仲間がアントニオ・ガデスの「血の婚礼」というビデオを貸してくれて、それを観て。

阿木 今日はあえて佐藤さんのこと、ヒロ君と呼ばせてもらおうと思うんだけど。ヒロ君とはずいぶん長いお付き合いよね。

佐藤 2001年の「フラメンコ曽根崎心中」の初演からなので、もう18年になります。

阿木 本当に月日の経(た)つのは早いわ。あっという間の18年。どおりで私も宇崎(竜童氏)も年を取るわけね(笑)。でも、今年「フラメンコ」は「Ay曽根崎心中」と改題し、12月に新国立劇場でやらせて頂くんだけど、この作品は私がプロデューサーで、宇崎が音楽監督。そしてヒロ君は演出、振り付け、主演の徳兵衛役と一人三役。そして私達はまみちゃんと呼ばせてもらっているんだけど、ヒロ君の公私共にパートナーの鍵田真由美さんがお初役。ということで2組の夫婦で、今まで共同主催してきたでしょう。こういう作品って、フラメンコのみならず、世界を見回しても珍しいと思うんだけど。

佐藤 確かにそうですよね。フラメンコ界でギタリストと踊り手の組み合わせは居るんですが、踊り手同士のカップルで、僕達みたいに長く続いているところは稀有(けう)かもしれません。

阿木 そもそも私達と、ヒロ君、まみちゃんとの出会いも運命的よね。もともと私達は文楽のために近松門左衛門の「曽根崎心中」をロック仕立てにして楽曲を作っていたんだけど、それをフラメンコでやってみようと思い立って、声をかけたのがお二人だった。

佐藤 本当にあの時はびっくりしました。僕達、いつも年末に助成金を頂くために、文化庁に来年はこういうことをします、という書類を出すんですね。それが阿木さんからお話を頂く直前に、来年は近松の心中ものを演(や)りたいと書いて、提出していたので。背筋がゾクっとしました。

阿木 究極の愛の物語をやる限り、私達もヒロ君達も離婚はできない。そういえばこの間、何かの話のついでに私が「ヒロ君とまみちゃんの夫婦は、上手(うま)くいってるのよね」と余計なお世話で尋ねたら、間髪入れずに「大丈夫です」って。それを聞いて凄(すご)く安心した(笑)。

佐藤 本当にそれだけは、信じて頂いてよいと。

阿木 でも、そんなムキになって答えるところをみると、逆に何かあるのかな、なんて。

佐藤 いえいえ、滅相(めっそう)もない(笑)。阿木さんは僕のこと、何でもお見通しですけど、これだけは胸を張って「大丈夫」と言えます(笑)。

阿木 私、対談をやらせて頂く際に、ゲストの方の出された本とかCDとかDVDを拝見して、予備知識を得ておくんだけど、今回はヒロ君ということで、楽チンをさせてもらって、何も予習をしてきてないの。でも、今日になったら、ヒロ君のことを案外、知らないことに気がついて。

佐藤 阿木さんとお目にかかる時って、「Ay」のリハーサルだったり、本番だったり、打ち上げだったりするので、僕の個人的なことはあまりお話ししたことがなかったかもしれませんね。そうですね、僕の幼少期って、一言で言うと凄く暗くて、"暗黒時代"だったんです。

阿木 えっ、どういうこと?

佐藤 小学校4年生の時、男の子の転校生がいたんですけど、そいつがかなりのワルで。最初は僕のことを気に入ってくれてたみたいでいろいろ物をくれたり、奢(おご)ってくれたりしてたんです。

阿木 お金持ちの家の子だったの?

佐藤 そうじゃなくて、それがそいつの手口で、ある時期になったら「今までお前にやった分、全部金にして返せ」って。それも何万とかいう額を要求されて。小学生じゃ、とてもそんな金額、返せないじゃないですか。それなのに「返さないと、殺すぞ」って。

阿木 えー、そんなー。それ、小学生が言う科白(せりふ)じゃない。

佐藤 それから一方的に「俺の家来になれ」って命令されたんです。僕はそれ以来、学校に行くのが怖くなって、引きこもりになっちゃったんです。それが小学校卒業するまで続きましたね。

阿木 ヒロ君のご両親はさぞかし、心配なさったでしょう?

佐藤 親には言えなかったんです。言ったら殺されると思い、打ち明ける勇気が出なくて。実際、彼の家来になった奴(やつ)らは、万引きや盗みをやらされて、逆らったらリンチに遭ってましたから。

阿木 それ、いじめとかいう段階じゃない。犯罪に近い。

佐藤 もう僕、毎日、死にたくて。でも、死ぬ勇気も出なくて。それが中学生になったら、そいつとは同じ学校だったんですけど、生徒が増えた分、そいつの興味も他に移って。僕は僕で新しくできた友達と遊ぶようになったんですけど、その時、心の底から「友達と遊ぶのって、こんなに楽しいんだ」と思ったんです。で、殺されてもいいから、そいつの支配から抜け出そうと決心したんです。

阿木 いつも明るいヒロ君に、そんな辛(つら)い過去があったとは。ヒロ君はフラメンコを始める前は福祉の仕事をしていたんでしょう? それは、そういう経験が基になっているの?

佐藤 そうですね。自分が子供の頃、遊ぶのもままならないくらい、感情を抑圧して生きてきたので、親に捨てられた養護施設の子供達とかに、寄り添いたいと思ったんです。

阿木 じゃ、その福祉の仕事から、フラメンコダンサーへの転向は、どういう道筋だったの?

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