サンデー毎日

対談
艶もたけなわ
2018年9月 9日号
中村吉右衛門 歌舞伎俳優
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阿木燿子の艶もたけなわ/217

22歳の若さで祖父・初代中村吉右衛門の名を二代目として襲名した吉右衛門さん。以来、大名跡を背負い駆け抜けて、2011年、人間国宝の認定を受け、名実共に"歌舞伎界のトップランナー"の一人となりました。そんな吉右衛門さんですが、お孫さんの話になると、自然と口元が綻び、嬉しそうに話す好々爺ぶりをのぞかせてくださいました。

◇高校まで仏語を勉強してましたから、仏文学者になりたいと考えてましたね。

◇秀山祭の「俊寛」では、娘婿の尾上菊之助さんとご一緒なんですね。

◇何か気付いたことがあっても、余計なことを考えずに、すぐ伝えられるのは楽ですね。

阿木 先日、歌舞伎座で吉右衛門さんがお出になられた「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を拝見しました。お孫さんともご共演なさってましたね。劇中、縁台の上でひょいと位置を変える場面がありましたでしょう? 私、驚いてしまって。日ごろ、足腰を鍛えていらっしゃるんだろうなって。

吉右衛門 縁台から落ちるのではないかと毎日ヒヤヒヤでした。孫との共演はこちらがいつ何時どうなるか分かりませんので、今のうちに共演して、少しでも彼の思い出として残ればと思ってるんです。

阿木 お幸せですね、お孫さん。そんなふうにおじい様に思って頂いて。それに吉右衛門さん、尾上菊五郎さんと、人間国宝のおじい様を2人も持たれて。日ごろから、国宝に囲まれている(笑)。

吉右衛門 あのお芝居では、途中で孫をおんぶして、花道に引っ込むんですが、最初周りに反対されまして。家内にも「やめて」って。

阿木 そうなんですか? でも、おじいちゃまとしては?

吉右衛門 孫に直接聞いたら、娘に言われたらしく、「駄目、おんぶしない。手をつないで入るの」とかなんとか(笑)。でも稽古(けいこ)でやってみたら、どうにかやれたので。

阿木 4歳なら、もう重いのでは?

吉右衛門 そうですね。ずいぶん重くなってましたね。でも、それより不安だったのは、立ち上がる時ですね。すんなりいくかどうか。情けないですね、そんなことを心配するなんて(笑)。

阿木 大変お恥ずかしいのですが、私、歌舞伎にまったく造詣が深くなくて。でも拝見していて感心したのは、義太夫との掛け合いが見事だなと。ぴったり息が合っていないと、あんなふうに科白(せりふ)と上手(うま)く絡みませんよね。

吉右衛門 それはもう、あちらが床から私どもの芝居を見て、入ってきてくださるので、もうお任せで。

阿木 そのへんの間が絶妙ですね。

吉右衛門 私どもは書き物と言いますが、明治以降、坪内逍遥先生などがお書きになった科白劇もございますが、江戸時代までは音と義太夫で歌い上げるのが、歌舞伎のひとつの特徴になっております。

阿木 歌い上げるというと、科白もそうですよね。

吉右衛門 そのように科白が作られているもので。

阿木 それにしてもよく滔々(とうとう)と科白が出てくるものだなと。吉右衛門さんの場合、どのくらいの数の作品が体に入っているんですか?

吉右衛門 数えたことはありませんが、かなり多いとは思います。

阿木 歌舞伎って、お稽古期間が短いんですよね。普通の舞台だったら1カ月くらいありますが。

吉右衛門 そんなにお稽古に、日数は取れませんので。

阿木 では日ごろから、ちゃんとおさらいをしていないと?

吉右衛門 そうですね。普段から勉強していないと、恥をかくことになりますね。今はそうでもありませんが、昔のお稽古場は、本当にピリピリした空気が漂っておりましたね。平稽古というのがありまして、新しいものをやる時の読み合わせみたいなことなんですが、それから附立(つけたて)という鳴り物やなんかが入って、それから総ざらいをやって、もう初日なんです。

阿木 じゃ、初日はヒヤヒヤ?

吉右衛門 そりゃ怖いものでした。私の子供の頃まで、そんな状態でしたね。女方(おんながた)さんは衣裳での競い合いもありますから、本番まで何を着るのか隠しておいて、下のものとバッティングでもしようものなら「何で私と同じ物を着るんだ」と怒ったり。でも、まぁ、そういうことも修業のうちでしたけど。今は稽古期間は短いですが、役者同士が見える感じで稽古をやるので、楽になりましたね。ただ昔は御曹司、上の者の役者の子供のことを指すんですが、その御曹司も、そうでない役者さんの子供もみんな子役になったので、子役が沢山(たくさん)居たんです。でも、今は御曹司以外のお子さんは、役者になる人が少なくて。

阿木 ということは子役さんが減っている。吉右衛門さんが若い頃は、歌舞伎役者の家に生まれたら、跡を継ぐのが当たり前の時代だったんでしょうね。でも一時期、吉右衛門さんはフランス行きを考えていらっしゃったとか?

吉右衛門 私はあまり役者に向いていないものですから(笑)。体形からして、背がヒョロヒョロしていて、顔も小さいもので。

阿木 そうはおっしゃっても、二代目吉右衛門をお継ぎになった。初代は吉右衛門さんのおじい様に当たるんですよね。

吉右衛門 はい、母方の祖父なんです。母は男の子を2人生みまして、兄は二代目松本白鸚(はくおう)ですが、高麗屋(こうらいや)を継ぎ、弟の私は祖父の方の養子に入り、播磨屋(はりまや)の後継者になりました。

阿木 ということは実のお父様が初代の松本白鸚さん。まさにサラブレッド中のサラブレッド。それにしても初代の吉右衛門さんは歌舞伎史に残る、素晴らしい役者さんでいらしたんですよね。

吉右衛門 この世界は長い歴史がありますもので、家柄に重きを置きますが、初代は家柄としてはそれほどでもなかったんです。初舞台も11歳と遅くて。ただ初舞台を踏んでから亡くなるまで、吉右衛門で通したんです。普通は大人になるにつれ名前を変えるのですが、生涯同じ名前でして、これはとても珍しいことで。

阿木 歌舞伎の世界では異例?

吉右衛門 おっしゃる通りで。当時、「菊吉」と言われまして、六代目菊五郎さんと人気を二分したようです。菊五郎さんは音羽屋(おとわや)という大変なお家の方で、そこの方と同等に張り合えたというのは、大変なことだったと思うんです。

阿木 自他共に認める人気役者に上り詰められるまで、大変なご努力をなさったんでしょうね。

吉右衛門 私もそう思います。なので、初代が作り上げた芸というのは確かなものではないかと。

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