筆者は東京五輪が開幕する直前の7月20日、岐阜県中津川市に赴き、レスリング米国代表チームの公開練習を取材した。女子57㌔級のヘレン・マルーリス(29)は本番直前の緩やかな調整ながらも時折、鋭い動きを見せていた。2016年のリオデジャネイロ五輪の53㌔級決勝で、吉田沙保里(38)の4連覇を阻止した強豪だ。
「吉田と戦えて光栄でした。今回、(57㌔級に階級を変え、)川井梨紗子(26)と戦えるなら名誉なことです。自信はあります」
東部メリーランド州に生まれ、幼少から弟の練習相手としてレスリングを始めた。世界選手権で2度優勝している。リオ五輪で吉田を破って金メダルを手にしたのは、「人生最高の日」だったと振り返る。
18年、アクシデントが襲った。マルーリスは試合中、頭が相手の頭と激突し、脳しんとうを起こした。倦怠(けんたい)感が続き、音や光に過敏に反応するようになり、明るい部屋では頭痛がした。後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。さらに肩の手術を受け、一時は引退の恐れもあったという。
しかし、再び米国代表にはい上がった。
「目が覚めると、この一日は贈り物って感じます。日本は五輪を開催してくれている」
自分は幸せ者と感じることがエネルギーになっている。
そして東京五輪。準決勝で念願通りに川井と対戦し、敗れた。五輪連覇は逃したが、3位決定戦の終了直前でモンゴルの選手を破り、銅メダル。
「健康が最高の贈り物。多くの教訓と感情、喜びを持ち帰れます」とマルーリス。そう語った笑顔が「本当の幸せ」を教えてくれた。
(粟野仁雄)