昭和の歌謡界を代表する都はるみ(73)が、東北のビジネスホテルを拠点にする俳優活動休止状態の矢崎滋(73)を訪ねる姿が、〝通い同棲〟として写真週刊誌『フライデー』に報じられた。
はるみをデビューから知る音楽関係者は「前夫や再婚したいと思ったビジネスパートナーとの関係はうまくいかなかった。同年代の矢崎さんとやっと、遅咲きの春を迎えることができたのでは」と言う。
はるみは1964年にデビュー。2曲目の「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーを記録し、日本レコード大賞の新人賞を受賞。その後、「サンミュージックプロダクション」に移籍。そこで、当時、売れない歌手だったA氏と出会い、事務所には内緒で交際をスタートした。
「76年に『北の宿から』でレコ大グランプリを受賞。〝演歌の女王〟の座を築いた3年後に事務所の反対を押し切ってハワイで極秘挙式。A氏ははるみに資金を出してもらって、銀座でオーダーメイドの紳士服店を開業した。はるみ一途(いちず)のはずだったA氏が銀座のクラブホステスに夢中になった」(A氏の元友人)
夫婦関係が悪化して離婚したはるみは、当時、担当ディレクターだったB氏と親しくなって同棲。妻帯者のB氏に離婚を迫った。84年に「ふつうのおばさんに戻りたい」と電撃引退したが離婚が成立しなかったことから復帰した。
「復帰後、B氏とはビジネスパートナーとして仕事をしたんですが、離婚が成立しないままB氏が自殺した」(音楽ライター)
不遇を乗り越えて歌い続けたはるみは2015年の全国ツアーの公演を最後にコンサート活動休止。表舞台から消えた。
「その間、新宿コマ劇場の座長公演で共演した矢崎が体調を崩しながらも、はるみを支えてきたんです」(前出の音楽関係者)
2人の仲睦(むつ)まじい生活と、はるみ節の復活に注目したい。
(本多圭)