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艶もたけなわ
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水前寺清子 歌手

2018年9月23日号

阿木燿子の艶もたけなわ/219 

「三百六十五歩のマーチ」をはじめ、数々のヒット曲で知られる水前寺清子さん。「チータ」の愛称で、今も元気印は健在です。そんな水前寺さんに、恩師である作詞家の星野哲郎さんとの数々の思い出や昭和の大ヒットドラマ「ありがとう」のエピソード、さらに事務所の社長を務めるご主人との丁々発止のやり取りなど盛りだくさんに伺いました。

 ◇子供時代の夢は、保育園の保母さんか女剣劇の役者だったんです。  

 ◇ご主人と水前寺さんのご関係は、"喧嘩相手"という表現が一番ぴったりくるとか?  

 ◇そうですね。バッと喧嘩して、両方ともすぐケロリとするんです。

水前寺 私、阿木さんにお目にかかるの、初めてですよね。

阿木 ええ、お互いにこんなに長く音楽業界にいるのに、意外に接点がありませんでしたね。普通、何処(どこ)かですれ違うものですけどね。

水前寺 テレビでは拝見してるんですが。

阿木 私の方こそ、作詞家になる前からしょっちゅう、歌番組などで観させて頂いていました。

水前寺 ご主人の宇崎竜童さんと阿木さんのお書きになるような曲を私、あまり歌っていなかったもので。

阿木 ジャンルが違うというか。

水前寺 デビュー曲をお二人にお願いしていたら、今ごろ、違った衣装で歌っていたかもしれませんね(笑)。

阿木 水前寺さんはやはり、着流しでないと。最初、テレビで拝見した時、颯爽(さっそう)とした着流しスタイルに衝撃を受けました。あれは水前寺さんのアイデアだったとか?

水前寺 デビュー曲の「涙を抱いた渡り鳥」は、クラウンレコードからすると臨時発売だったんです。急に決まったので、衣装をどうするかという段になって、私、大川橋蔵さんの大ファンだったので、着流しにしたいって言ったんです。

阿木 あの当時、着流しといえば橋幸夫さん。橋さんってもともと呉服屋の息子さんで、着流しが板についていらっしゃった。そこに若い女性が、男前の衣装で彗星(すいせい)のように現れた。

水前寺 急な事だったので、レコードのジャケット撮りでは、チンドン屋さんに着物を借りたんです。厚い綿入りで、サイズもやたら大きくて。それを誤魔化(ごまか)すのが大変でしたね。

阿木 でも、見事に狙いが当たりましたね。衣装のインパクトもあり、「涙を~」は大ヒット!

水前寺 あの曲は最初、畠山みどりさんが「袴を履いた渡り鳥」というタイトルで歌われることに決まっていたんです。でも、作詞家の星野哲郎先生がレコード会社をコロムビアからクラウンに移られることになり、宙に浮いた感じになっていたんです。

阿木 水前寺さんは星野さんの秘蔵っ子でいらっしゃって、デビューからずっと、先生の曲を歌っていらしたでしょう? 私「いっぽんどっこの唄」が大好きで。"ぼろは着ててもこころの錦"と、いきなり高音で歌い出すところが、凄(すご)く格好良かった。

水前寺 私、あの曲のあたりから、完全に男歌になっちゃいましたね。

阿木 歌い方が、スコーンと突き抜けてましたよね。

水前寺 そうですか? でも、本人は何も分からずに歌ってます。すいません(笑)。

阿木 レコーディングの際には、こんなふうに歌ってくれ、とか注文されたんですか?

水前寺 自由に歌わせてもらってました。いい加減ですよね、私。

阿木 いえ、そんなこと(笑)。水前寺さんが歌われた詞の中には、星野さんのメッセージが色濃く入ってますよね。星野さんは水前寺さんのこと、ご自分の分身のように思っていらしたのかも。

水前寺 お亡くなりになってから、いろいろ知ったんですけど、先生はもともと体が弱かったので、ご自分の夢や憧れを私に託されたんじゃないかと。だから、先生が書かれた詞を今読むと、あー、この時はこういうことをお考えになっていたんだな、ということが分かります。

阿木 作詞家のプロとしてより、水前寺さんの曲に関しては、その時々のご自分の心境を重ねていらっしゃった感じでしょうね。

水前寺 私、先生と初めてお会いしたのは「コロムビア全国歌謡コンクール」だったんです。その時先生は審査員のお一人で、私は優勝を逃し2位だったんです。でも先生がお声をかけてくださり、レッスン生として残れたんです。その後、レコード会社を移籍なさる時、一緒に連れていってくださって。

阿木 文字通り星野さんは、水前寺清子の生みの親。

水前寺 私自身はデビューするまでの4年間、歌い手になろうとは思ってなかったんです。

阿木 えっ? そうなんですか?でも、歌はお好きだったんでしょう?

水前寺 子供時代の夢は保育園の保母さんか女剣劇の役者かって。

阿木 ずいぶん振り幅が(笑)。

水前寺 私、極端なんです(笑)。

阿木 まさしく親心で、星野さんは水前寺さんのことを心配なさって、池袋の喫茶店でアルバイトをなさった時は、様子を見に来てくださったとか?

水前寺 バイトが終わると、もう遅くて電車がないんです。私は始発で帰りましたが、先生はどうやってお帰りになったのかなと。先生にはお嬢さんと息子さんがいらっしゃるんですが、お二人からは、「私達よりも親子だったね」と言われました。

阿木 星野さんの夢の代弁者だったことを考えれば、親子以上かもしれませんね。

水前寺 私、デビューするまでの間も、よく先生の所に伺って、"よう!"とか言ってました。

阿木 何とタメ口を(笑)。私、ある方から紹介されて、一度だけ、星野さんとお酒をご一緒させて頂いたことがあるんです。とても優しい方で。その時に作詞家の大先輩として、いろいろお話をしてくださって。水前寺さんがお歌いになった「おしてもだめならひいてみな」という曲のタイトルは、ある店のトイレのドアが押しても開かなかったので、引いてみたら開いた、という実際の体験談に基づいていたとか。

水前寺 私、そのエピソードをお聞きした時、えーッ、そうなんですか、って感じでしたね。新宿のゴールデン街のバーのトイレが開かないと、お店の人に言ったら、タイトル通りの答えが返ってきたって(笑)。

阿木 私、星野哲郎作詞、水前寺清子歌の中で一番好きなフレーズは、「どうどうどっこの唄」の3番で。「おまえさんには色気がないと かわいあの娘が口惜しがる 知っているんだ近道は だけどその手はいやなのさ」という。ずっと私の座右の銘になってます(笑)。人生は近道を行こうとすると、かえって遠回りになる。信じた道をただ真っすぐ行けばいいんだとお二人から教わった気がするんです。

水前寺 いえいえ、私はただ先生の書かれた詞を歌ってただけで。私自身は何も分かっちゃいないんです。

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