対談詳細

艶もたけなわ
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柏原由佳 レスポートサックジャパン創業者 「ララ・ファティマ」オーナー

2018年6月10日号

阿木燿子の艶もたけなわ/205 

1974年にニューヨークで生まれたレスポートサックは、カジュアルなデザインで人気のファッションバッグです。10代でこのバッグに魅了され、起業して日本に広めたのが、柏原由佳さん。元気印の柏原さんの奮闘ぶりを振り返っていただく

とともに、新たに始めた紹介制パティスリーの中身やプライベートの一面まで語っていただきました。

 ◇創業当時の夢は、レスポのバッグに埋もれて寝てみたいというものでした。  

 ◇今でこそ女性の起業家は珍しくないですが、柏原さんが会社を起こされた頃って...。  

 ◇営業するにしても、どう振る舞えばいいのか日々、手探りでしたね。

阿木 素敵(すてき)なインテリアですね。モロッコ風ですか?

柏原 ええ、主人がモロッコからアメリカに移り住んだ料理人なもので。ここは紹介制のパティスリーで、モロッコならではのローズやアルガンオイル、サフランなどをふんだんに使ったお菓子、オリジナルブレンドティーを販売してるんです。

阿木 柏原さんのご本職はレスポートサック ジャパンを創業された起業家でいらっしゃる。レスポートサックって、軽くてカラフルで、持っているだけで嬉(うれ)しくなるバッグのブランドですが、柏原さんは日本での販売を一手に引き受けていらっしゃるんですよね。

柏原 あのー、私、つい最近、会社を売却したんです。

阿木 えっ、そうなんですか?

柏原 今はレスポのアンバサダーをやらせて頂いています。

阿木 急なことでちょっと、驚きました。ということは?

柏原 レスポの誕生から今日までの歴史を把握している者として、微力ながら、この先も日本のレスポの普及に尽力できたらと思っているんです。何しろ私、レスポが大好きで、この仕事を始めたので、創業当時の夢は、レスポのバッグに埋もれて寝てみたいというものでしたから。

阿木 バッグにそこまで思い入れられるのって凄(すご)いですね。まるで恋愛みたい(笑)。

柏原 当時、自宅を事務所にしていたので、ある日起きたら、レスポを詰めた段ボールが山積みになっていて。「本当に夢が叶(かな)った」と思ったんです。

阿木 "在庫が沢山(たくさん)"じゃなくて?(笑)。そもそもレスポとの出会いって?

柏原 高校1年生の夏に、ミネソタ州で行われたサマーキャンプに参加したんです。明るい青空の下で、同世代の若者達が、ラルフローレンのポロシャツに、レスポを使いこなしている姿を見て、まさにアメカジだなって。

阿木 カルチャーショック?

柏原 本当にそうですね。当時のアメリカはまだまだ元気でしたから、レスポがビタミンCというか、元気印の象徴に見えましたね。

阿木 確かにレスポのバッグって、軽くてカラフルで、持っているだけで気持ちが弾みますよね。じゃ、当然買って帰られた?

柏原 それが駄目だったんですー(笑)。高校生にはちょっと高くて。

阿木 高いって、いくらくらい?

柏原 忘れもしない(笑)、小さなポシェットが100ドルくらいしたんです。今のお金で、感覚的には3万円くらいでしょうか。

阿木 じゃ、涙を呑(の)んで?

柏原 そうなんです。だから大学生になってハワイに行った時は、もう死ぬほど買い込んで、スーツケースにいっぱい詰めて帰って来たんです。で、友達にレスポを見せたら、みんなが欲しい、欲しいって。

阿木 何となく分かります。バッグ自体の素敵さもさることながら、レスポからアメリカのにおいが立ち上っていたんでしょうね。自由な風が吹いてる、みたいな。

柏原 本当にあっという間に、手元から無くなって。私、自分が良いと思った物に、賛同してくれる人が沢山居るということが嬉しくて嬉しくて。こんなにみんなが欲しがるバッグなら売れるかも、とその時に思ったんです。

阿木 当時の日本は、三宅一生さんやコシノジュンコさんらが世界に活躍の場を広げ、ファッションが多様化してきた時代ですよね。

柏原 おっしゃる通りで、だからこそ、持つ人の個性を引き立たせるレスポが浸透してゆく余地が有ると思ったんです。で、どうやって広げてゆくかを考えた時、丁度(ちようど)エアロビクスが流行(はや)り始めた頃だったので、インストラクターさん達に使って貰(もら)ったらと閃(ひらめ)いて。

阿木 目の付けどころが流石(さすが)です。確かに元気印のレスポは、エアロビクスのインストラクターにはぴったりかも。

柏原 ジャズダンスやエアロビクスをやる人って、ファッションにも敏感でしょう? それに何よりも着替えを持ち歩くので、軽くて機能的なバッグを求めているはずだと思ったんです。

阿木 一時期、私もエアロビクスにはまっていましたけど、タオルやレオタードなど、結構、荷物が多いんですよね。

柏原 試しにインストラクターの養成スタジオに持参したら、みなさん、気に入ってくださって。

阿木 手応えとしては上々?

柏原 お陰様で。次のターゲットをどこにしようかと考えて、思い付いたのが渋谷の西武百貨店のロフト館。当時のロフト館は、エコとか健康志向のイメージがあったので、やはりフィットネスの売り場に話を持っていったんです。

阿木 そこも飛び込みで?

柏原 そうなんです。若いから、怖いもの知らずなんですよね。

阿木 その勇気はどこから湧いてくるんですか?

柏原 ただただ信念(笑)。

阿木 飛び込み営業って、担当者に会うだけでも一苦労でしょう?

柏原 一応、担当者は話を聞いてくださって「検討して後ほど連絡をしますから」と言ってくれたんです。その言葉を信じて電話の前でずっと待ってたんです、何カ月も。

阿木 "首を長くして"という感じですね。

柏原 本当にそうでした。でも待てど暮らせど電話は掛かってこない。その話を父の友人で流通の仕事をしている方に話したら、「それは断る時の常套(じょうとう)句だよ」って言われて。今思えば本当に私、相当な世間知らずでしたね。

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