対談詳細

艶もたけなわ
loading...

仲代達矢 俳優

2018年1月 7日号

阿木燿子の艶もたけなわ/185

 日本を代表する俳優、仲代達矢さん。黒澤明、小林正樹、市川崑、岡本喜八、五社英雄などの名監督の作品に出演。その一方、40年以上にわたり私費で俳優養成所を主宰し、後進の育成に注力しています。今なお、精力的に舞台での活動を続けている仲代さんの半生に迫ります。「引退後の夢」について仲代さんが阿木さんに仰天リクエストをする一幕も――。

  •  ◇引退後は、趣味で歌三昧の世界に入りたい。何か一曲書いてくださいますか?
  •  ◇さまざまな方とのお別れの中でも、奥様を見送られた時は、どれほどお辛かったか...。
  •  ◇居なくなって2、3年、その間、何をやっていたか記憶がないんです。

仲代 あなたとご主人(宇崎竜童氏)の作品は、ずっと以前から、聴かせて頂いております。
阿木 ありがとうございます。私のほうこそ、「用心棒」「切腹」など19の作品を映画館で拝見しています。その他にも黒澤明監督、五社英雄監督の作品も残らず観ておりますので、今日はお目にかかれてとても光栄です。
仲代 六十数年、役者をやっていますので、もうそろそろ(引退)かな、と思っておりますが(笑)。
阿木 何をおっしゃいます。この先の予定もずっと詰まっていらっしゃるのでしょう?
仲代 演劇をやっておりますと、劇場の予約を2年くらい前に取らなければいけないので、何となく生き延びている感じですね。
阿木 今まで映画史に残る名作に数々、ご出演なさっていらっしゃいますが、三船敏郎さんや石原裕次郎さんと決定的に違うのは、仲代さんは映画と並行して舞台をずっと続けてこられたことですね。
仲代 19歳の時に、俳優座の養成所に入ったものですから、基本的には演劇をやりたかったんです。でも、演劇って食えないんです。
阿木 本当に好きでないと、続けられない世界ですよね。
仲代 そこへいくと映像は、僕がデビューした頃は、日本映画がとても景気が良い時代でしたからね。僕は二足の草鞋(わらじ)を履かせてもらってたんですが、もともと演劇出身だったもので、特定の映画会社とは専属契約を結ばないでおこうと思っていたんです。
阿木 でも映画会社から、ウチに来るなら家を建ててやるぞ、みたいな話があったのでは?
仲代 僕も不思議に思うんですけど、カネに恨みがあった分、縛られたくないという思いも強かったんですね。僕は戦時中生まれなので、軍国少年だったんです。小学校を卒業するまで、お国のために死ぬんだ、と信じていましたからね。わが家は大変貧乏でして、高校は夜学に進み、昼間はアルバイトに精を出していました。大学に行く余裕もなくて、じゃあ、食うために何をすればいいかと考えて、2年間、ボクサーをやりました。
阿木 言葉通り、ハングリーな時代を過ごされた。
仲代 でも、顔を殴られるのが嫌で。その後、大井の競馬場でバイトをしたんですが、その時の知人が「仲代、お前は顔が良いから、役者になったらどうか」って言ってくれて。ただ当時の私は、大変な引っ込み思案で、人前で何かやるなんてとんでもない、とは思いつつも、手っ取り早くお金を稼げるならということで、芸能界入りを決めたんです。それでも一番地味なところを探して、新劇の学校を選んだ感じですね。
阿木 ということは、大井競馬場の知人が、"俳優・仲代達矢"の生みの親。

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

コラム