対談詳細

艶もたけなわ
loading...

城之内早苗 演歌歌手

2017年4月30日号

阿木燿子の艶もたけなわ 151

 おニャン子クラブ時代、「お城」の愛称で親しまれた城之内早苗さん。昨年、歌手デビュー30周年を迎え、年末には新曲「豆桜」を発表しました。そんな城之内さんの素顔は、「謙虚」と「お転婆」が同居する不思議なキャラクターだそうです。その全貌について、阿木さんがホンネに迫りました。お楽しみください。

  •  ◇子供の頃、民謡と三味線のお師匠さんか、女子プロレスラーになりたかったんです。
  •  ◇旦那様はおニャン子クラブの頃からのご縁。プロポーズの言葉は?
  •  ◇犬を飼いきれなかったという話をしたら「一緒に飼えばいいじゃん」って言われて。

阿木 デビュー30周年を記念して出されたベストアルバムを、聴かせて頂きました。演歌だけではなく、いろいろなタイプの曲が入っていて、とても楽しめました。
城之内 ありがとうございます。でも、それが私の一番の葛藤というか、試行錯誤の証しみたいな感じです。私、スタートがおニャン子クラブだったので、演歌歌手と認識して頂くまで、それなりの紆余(うよ)曲折があったんです。
阿木 でも、おニャン子時代から、城之内さんには演歌的な雰囲気がありましたよね。
城之内 子供の頃から、民謡を習っていたもので。でも、さすがにアイドルグループで、演歌はないだろうと思っていたんですが、スタッフは、城之内は演歌が歌えるということで採ったんだから、ソロデビューは演歌で、と思ってたみたいです。それで頂いたのが、「あじさい橋」という曲だったんです。でも、演歌というより叙情歌風で今ひとつ、物足りないなと感じていました。
阿木 本格的な演歌を歌うには、若過ぎたのでは?
城之内 そうですね。何しろまだ18歳でしたから。でも、当時の私の演歌のイメージは「津軽海峡・冬景色」。だけど今、考えると、ちょうどよかったんだと思います。おニャン子のファンも共感できて、大人の方が聴いてくださっても、いいな、と思って頂ける仕上がりになっていましたから。
阿木 さすが秋元康さんですよね。作詞の落としどころを、ちゃんと心得ていらっしゃる。
城之内 「あじさい橋」を出した後は、もう少し演歌寄りでとか、その後、いや、まだこれは早過ぎるとか、ずっとそんな感じでした。本格的に演歌を歌えるようになったのは、40代に入ってからですね。
阿木 それなりの道筋がおありだったんですね。でも、ちあきなおみさんの歌をお聴きになって、心境の変化が起こったとか?
城之内 20代の後半は、同級生が結婚をしたりして、将来に不安を感じていたんです。引き際ってあるんだろうな、と思ったりして。で、私、歌うことが全然楽しくなくなってしまったんです。そんな時、たまたまちあきなおみさんのアルバムを聴くチャンスがあって。そうしたらジャズもあれば、演歌もあるって感じで。

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

  • 艶もたけなわ

    新藤晴一 ミュージシャン

    2017年9月17日号

    阿木燿子の艶もたけなわ 169   ロックバンド「ポルノグラフィティ」は1999年に...

コラム