対談詳細

艶もたけなわ
loading...

生稲晃子 女優

2016年9月 4日号

阿木燿子の艶もたけなわ 118

 元おニャン子クラブで女優の生稲晃子さんは昨年11月、4年8カ月にわたる乳がんの闘病と右乳房全摘出を公表しました。そして今年4月、自身の誕生日に闘病記を出版。乳がんは、日本人女性の12人に1人が罹っているといわれています。これまで生稲さんが抱え続けてきた苦悩や、それを表に出さずに頑張り続けてきたヒミツに迫ります。

 ◇45年間ずっと一緒だった乳房を失うと思ったら、体に申し訳なくて。

 ◇生稲さんの謙虚さの根っこには、「せっかく気質」がおありな気がします。

 ◇これを逃したら次はない、という自信のなさがそれにつながっているのかもしれません。

生稲 ご無沙汰しています。ご主人の宇崎竜童さんと阿木さんには、「ちい散歩(注1)」の挿入歌(注2)で、お世話になりまた。
阿木 地井武男さんとのデュエットソングでしたね。お二人のお人柄と、散歩番組ということもあって、ミディアムテンポの長閑(のどか)な曲を書かせていただきました。
生稲 あの曲を歌わせていただいたのが2008年。時間のたつのは早いですね。
阿木 今はすっかりお元気そうですが、闘病中は大変でしたね。
生稲 あれから3年後に乳がんが見つかったのですが、私にしてみれば大ショックで。当時はただ必死なだけで、大変さを感じる余裕もありませんでした。でも、本(注3)を書くために日記を読み返してみたら、5度の手術を経験した4年8カ月の間にいろいろなことがあったなって。
阿木 その間に、地井さんもお亡くなりになって......。
生稲 突然、番組を休まれてから半年後だったので、私、地井さんのお元気な姿しか、記憶になくて。
阿木 私はお二人のレコーディングの様子が心に残っています。地井さんが照れくさそうになさっていて、生稲さんを頼っていらっしゃる感じが微笑(ほほえ)ましいなと。
生稲 いえいえ(笑)。私、頼りになるほどしっかりしていないので。
阿木 長く共演していらっしゃっただけあって、お二人の息はピッタリ。
生稲 私は地井さんの優しさに甘えてばかりで、今考えても、懐の深い方だったなと思います。
阿木 生稲さんは、あの番組は長いですよね。
生稲 「ちい散歩」から、加山雄三さんの「若大将のゆうゆう散歩」と番組名が変わってからも引き続き出させていただいて、計8年半になります。
阿木 番組の性格上、病気を公表なさるのは難しかった?
生稲 そうですね。基本的に健康番組なので、周りにご迷惑をおかけしてはと思い、言えませんでした。それに発見された時、右胸のがんは8ミリと小さかったので、治療して完治すればあえて知らせなくても、と最初は軽く考えていたんです。
阿木 1センチにも満たないということは、初期ですよね。
生稲 ええ、それで乳房を温存する方向で手術を受けたんです。その後、放射線治療とホルモン治療を受けて、これで安心と思ったら1年半もたたないうちに、同じ側に再発してしまって。
阿木 一口にがんといっても、いろいろタイプがあるんですよね。
生稲 先生にお聞きしたところ、「あなたのがんは性質として悪くはないけど、いいわけでもない。ちょうど中間くらいです」って。たとえば、放射線で完全になくならないという感じ。
阿木 しぶといタイプ、ってことですね。
生稲 放射線治療でもがん細胞が死なず、さらに再発する確率って、すごく低いそうです。
阿木 かなりレアなケース。
生稲 正直、2度目の再発を告げられた時には、覚悟しなくちゃいけないのかな、って思いました。
阿木 その時点で、セカンドオピニオンを考えなかったんですか?
生稲 私は選択肢が増えると迷いが出てしまうと思って、あえて選択しなかったんです。あれこれ考えているうちに、手遅れになる可能性もあるので。主治医が「私たちは患者さんの命を優先する、確実な方法をとります」とおっしゃったので、右胸の全摘手術を受けることにしたんです。
阿木 全摘は辛(つら)い選択ですね。
生稲 私は31歳の時に母を亡くしているんです。30過ぎれば十分大人だって言われるかもしれませんが、それでも早かったなって。そう考えると、娘はこの時まだ7歳。ここで死ぬわけにはいかない、娘が成人するまでは、生きていなきゃって思ったんです。
阿木 手術後、傷口を最初にご覧になったのはお嬢さんだったとか?
生稲 私、娘は強いなって思いました。右胸に真一文字に傷があるんですが、普通に、ふ~ん、って感じで見てましたね。
阿木 お嬢さんはお医者さんに向いていらっしゃるかも。それもテレビドラマ「ドクターX」みたいな外科医(笑)。
生稲 家に帰ったら、娘に言ってみます(笑)。そうやって娘が先に見てくれたので、勇気を出して、私も見ることができました。
阿木 本のタイトルにもなっていますが、右胸に「ありがとう」と「さようなら」を何度もおっしゃったって。
生稲 手術前日が一番辛かったですね。45年間、ずっと一緒だった乳房を失うと思ったら、体に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
阿木 生稲さんはその悲しみを「女は弱し、されど母は強し」で、乗り越えられた。ご主人に対しても同じように、この人のために生きなきゃと?
生稲 

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

コラム