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艶もたけなわ
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小松亮太 バンドネオン奏者

2016年1月17日号

阿木燿子の艶もたけなわ 連載87

 バンドネオンという楽器をご存じだろうか。鋭いリズムと哀愁を帯びたタンゴに欠かせない楽器だ。そのバンドネオンを14歳から独学で覚え、若きリーダーとして君臨する小松亮太さん。その活動はタンゴにとどまらず、さまざまなジャンルに広がっています。そんな小松さんにタンゴ好きの阿木さんが迫り、楽器を弾き出す一幕も!

 ◇一般の人たちにもタンゴをもっと身近に親しんでほしいという思いがある。
 ◇タンゴは生命力が強そうなので、まだまだこの先に新しい展開がありそうですね。
 ◇グローバルになりつつも、根っこの部分は絶対忘れないようにしたいんです。


阿木 アルゼンチンタンゴのシンボリックな楽器といえば、バンドネオンですよね。私、タンゴとフラメンコが好きで。どちらも聴くと血が騒ぎます(笑)。
小松 ラテン系、スペイン語圏の音楽がお好きなんですね。
阿木 タンゴという名称は、リズムに由来しているんですか?
小松 200年くらい前、キューバを拠点としたラテン系の国々にアフリカの人たちが奴隷として連れて来られたんですが、彼らは、自分たちが叩(たた)く太鼓の音を「タンゴ、タンゴ、タンゴ」と言ってたらしくて。それがジャンル名として使われるようになったみたいです。
阿木 アフリカの音楽が、あるところではタンゴになり、ジャズになって広まっていったんですよね。
小松 他にはソン(キューバ音楽)とか、サンバ(ブラジル音楽)などですね。
阿木 ラテン音楽って、陽気な印象を受けますが、その下地に奴隷制度があったことを思うと、複雑な思いに駆られますね。
小松 悲しい歴史の上に、ラテン系の人の歌心と黒人特有のリズムパターンが融合した感じですね。
阿木 私が子どものころ、母は社交ダンスにはまっていて、台所仕事の傍ら、おしゃもじを相手に「ラ・クンパルシータ」を歌い、踊っていました(笑)。そういえば、ある時期から急に、タンゴが聴かれなくなりましたよね。
小松 1966年、ビートルズが来日してから激変しましたね。ラテン音楽やジャズは、オヤジが聴くものと見られるようになってしまって。
阿木 でも、小松さんは14歳でバンドネオンに目覚められたわけですよね? 逆算すると......。
小松 28年前ですね。
阿木 当時、タンゴを目指す若い人って、珍しかったのでは?
小松 80年代はタンゴにとって氷河期(笑)、ひどい時代でした。
阿木 ご両親はタンゴの演奏家でいらっしゃる。少年のときって反発して、親がやっているものはやりたくないってなりそうですが?
小松 実は僕もそうだったんです。ただ、母はピアノ、父はギターで、バンドネオンじゃなかった。共演者が家に来て、よくリハーサルをしていたので、バンドネオンの存在は知っていました。
阿木 でも、まだそのときは興味の対象外?
小松 あるとき、別の人が買う予定だったバンドネオンがキャンセルになり、うちで1週間ほど預かったんです。
阿木 それが小松さんの人生を変えた(笑)。
小松 両親が毎晩、赤坂や六本木でライブをするため、出かけていて。つまり、僕は鍵っ子だったので、自由な時間がたくさんあったんです(笑)。これがバンドネオンか~って思ってボタンを押して、「これがドだな。じゃ、レはどこだろう」って(笑)。
阿木 教則本とかは無かったんですか?
小松 そんなモノ、何もありません(笑)。今なら、インターネットで検索して情報を得たり、ユーチューブなどで音源が手に入りますが、当時は何も。
阿木 じゃ、完全な独学で?
小松 はい。数少ないCDで"耳コピ"をしていましたね。

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