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艶もたけなわ
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中村あゆみ ロックシンガー

2015年11月 8日号

阿木燿子の艶もたけなわ 連載78

 1980年代半ば、あどけない顔とギャップの大きいハスキーボイスから繰り出されるパンチの利いた曲「翼の折れたエンジェル」で、一躍スターダムに駆け上がった中村あゆみさん。眩い光を放つロックスターの誕生には"二人の母親"の存在がありました。さらに"伝説のロッカー"故・尾崎豊さんとの秘話まで語り尽くします。

 ◇一人では手に負えないエネルギーが、わたしにはあったのかもしれませんね。
 ◇あゆみさんといえば、伝説のロックシンガー、尾崎豊さんとも交流があったんですよね。
 ◇初めて会ったときの印象は、なんかこの世の人じゃない感じを漂わせていたんですよ。


阿木 ライブのDVDを拝見したら、お腹(なか)が見える衣装で、スリムなボディーが印象的でした。パワフルなステージをこなすため、鍛えていらっしゃるんだろうなって。
中村 ところがそうでもないんです。「ファンボ」というエクササイズを10分くらいやる程度です。でも、大きな会場でやるときは、走り込んだりしますが、息切れを防ぐためとかの理由ですね。
阿木 コンサートって、それもロック系は体力勝負ですよね。
中村 確かに、体力は相当使います。でも最近実感しているのは、継続は力なりだなって。ハードワークするより、コツコツ続けていくことが大事なんだなって。
阿木 あゆみさんはデビュー当時と復帰されてから、加山雄三さんの事務所だったんですよね。継続という意味で加山さんは、まさにいいお手本でしょう。
中村 結構、暴飲暴食系で大変なんですよぉ(笑)。でも、エネルギーはすごい! おっしゃる通り、見習う点は多いですね。
阿木 加山さんって、いつも大きな夢に向かって大海原を航海している感じですね。並外れた夢見る力をお持ちで、周囲を照らすオーラがまた半端じゃない。
中村 稼ぐことが先ではなく、自分がしたいことに進んでいくと、おカネがついてくる代表的な人だと思います。
阿木 そういうあゆみさんも、若いころから自立心が旺盛だったとか?
中村 わたしの父はマジメなんですが、生活力がからっきしダメで、脱サラして商売を始めても全然儲(もう)からなくて。小学生のころから働かなきゃいけないって意識が強くあったんです。
阿木 そんな幼いころからなんて、筋金入りね。
中村 しかも、わたしには生みの母と育ての母がいて、育ての母はクリスチャン、実母はクラブの大ママでした。
阿木 まぁ! まったく違うタイプのお母様がお二人。
中村 実母はもうティナ・ターナー((注1))みたいな。博多なんで、みんなが"ハカターナー"って言うぐらい(笑)。若いころはホント、和製ソフィア・ローレン的な人でした。
阿木 華やかな方だったんですね。
中村 わたし、高校1年のとき家出して、実母のところに行ったんです。実母は元々、歌手になりたかったので「あなたは絶対歌手がいいわよ」って(笑)。
阿木 その暗示にまんまとかかった感じね(笑)。
中村 そうなんです。で、一人で上京して明大付属中野高校((注2))の定時制に通ったんです。最初は実母から仕送りをバンバンもらってたんですけど、倒産してしまいまして。
阿木 でも、そんなことぐらいでメゲるあゆみさんじゃない。
中村 まァ、でもこれはヤバいなと。そこで働き出すんですけど、紹介してもらった新宿の飲み屋、今でいうキャバクラに年齢をごまかして潜り込んだんですが、初日についたお客さんがわたしの太ももに触ってきたのでその手を払ったら顔面に入って即クビ。
阿木 で、キャバ嬢は向かないと悟って......。
中村 次は、工事現場で旗振りのバイトをしたんですが、いつまでも続けられない。そこで、赤坂にある毛皮と貴金属専門店にまたもや年齢をごまかして入って、歩合制の営業で生計を立てていました。

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