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艶もたけなわ
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大林宣彦 映画作家

2015年10月18日号
 今年8月、新潟県長岡市とハワイ・ホノルル市との共催で、真珠湾に花火を上げるセレモニーに映画作家の大林宣彦さんと阿木さんが出席。今回は、その花火の話を皮切りに、「平和」の意味を語り合っていただきました。加えて、若かりし頃の阿木さんの秘話、また山口百恵さんのエピソードなど盛りだくさん─。

 ◇敗戦後70年目の夏、あの真珠湾で長岡の花火が観られるなんてね。
 ◇早い時期から(百恵さんと友和さんが)愛し合っているとおわかりになっていたのでは?
 ◇キャメラが回っていないとき、「風が友和さんね、私が帆ならいいわ」なんて話していた。


阿木 今年の夏、大林さんとご一緒させていただいた真珠湾の花火、キレイでしたね。
大林 感慨に堪えぬ夜でした。
阿木 戦後70年の節目に、長岡市とホノルル市の共催で、真珠湾で花火を上げるというセレモニーに大林さんと共に参加させていただいたんですが、私、見上げていたら、胸が熱くなってきて......。
大林 敗戦後70年目の夏、あの真珠湾で長岡の花火が観られるなんてね。長岡は真珠湾奇襲攻撃の山本五十六の里ですから。
阿木 長岡とホノルルは姉妹都市ですよね。花火が平和と友好の懸け橋になった感じですね。大林さんは長岡とはどういうご縁で?
大林 僕は2009年、長岡でこの花火を観たのが最初ですね。実は僕はイベント花火って、大嫌い。本来、お祭りというのは昔から日付が決まってるのに、観光客を集めるために次々と土日に変更していった。ところが、長岡市から呼ばれたのは8月3日で、月曜日。
阿木 長岡の花火は日にちが決まっていますよね。
大林 遥(はる)かに見渡す信濃川の黄昏(たそがれ)の中、どんな派手な花火が上がるのかと思ったら、真っ白い花火が一発ポーンと咲いてふわーっと消える。しかもゆっくり。気づけば群青(ぐんじよう)色の空になっている。しばらくたったらまた白い花火がポーンと咲いて消える。今度は漆黒の空。すると、涙が出てきた。この花火には"心"があるんだと思った。
阿木 白菊という花火ですね。真珠湾でも最初に上がり、とても印象的でした。そもそもこの白菊、慰霊のための花火なんですよね。
大林 そう、1945年8月1日夜10時30分、長岡は焼夷弾攻撃を受けて8割の市街が焼け、多くの人が亡くなった。その同じ時間に毎年3発上げると聞いて驚いたの。戦争体験者は空襲を思い出し、いまだに花火を観られない。花火が始まると、家に閉じこもる。「なぜそんな怖い花火を上げるの?」と聞くと、「私たちは忘れたいけど、戦争を知らない子どもたちのために、二度と戦争を起こさせないようにと、願いましてね」と。
阿木 忌まわしい記憶を乗り越えて、次世代に伝えようという気持ちが込められていますね。
大林 その言葉を聞いて思い出したのが、画家・山下清さんの代表作「長岡の花火」です。山下清さんは「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」と、言っていたんですよ。この言葉を映画にしてみたいなと考えていたら、森民夫・長岡市長が「いつか長岡の花火を日米合同の追悼と平和祈念の花火としてパールハーバーで打ち上げたい」とおっしゃった。「五十六がほんとうに願っていたのは日米友好だったから」と。それで僕も映画を作ることを約束した。
阿木 今回、大林さんと対談させていただくにあたって、改めて映画「転校生」(2007年版)と「時をかける少女」を拝見したんです。大林さんの死生観が、映像から伝わってくる気がして、思わず見入ってしまいました。
大林 このごろ、「大林さん、ようやく正体を現しましたね」って言われることが多いんです(苦笑)。たとえば、1982年版の「転校生」や「時をかける少女」は僕の故郷、尾道を舞台にしたので「さびしんぼう」を含め"尾道3部作"と呼ばれてるんですが、尾道にも戦争が終わった後もまだ緑は残っていた。ところが高度経済成長期、日本人が自らの手で日本を壊し始めた。僕も戦争中の子どもですから、お兄ちゃんたちが命懸けで守ってくれた日本を壊すことはできない。それで僕は町おこしじゃなく"町守り"の映画を作ったんです。

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