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艶もたけなわ
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永島敏行 俳優

2015年10月11日号
 スケール感の大きな俳優として活躍する一方、二十数年前の農業体験を機に、現在は農業コンサルタントの肩書も持つ永島敏行さん。数年で閉店してしまう"タレントの副業"とは違い、地に足のついた活動ぶりは定評のあるところ。阿木さんは、そんな永島さんのこれまでの軌跡を丁寧に辿りながら、知られざる奥深い魅力に迫りました。

 ◇「大根役者じゃなく、お前の場合は掘りたての大根だ」って言われました(笑)。
 ◇「農業」を産業という面だけでなく、"文化"という捉え方だってできるわけですね。
 ◇「不便さ」を売り物にする、その楽しみが見直される時代になってきたと思うんです。


阿木 ごぶさたしています。きょうは、本格的に農業に取り組んでいらっしゃる永島さんにお目にかかるので、野菜のイラストをあしらった服を着て参りました(笑)。そもそも、農業にかかわるきっかけって、何だったんですか。
永島 芝居の勉強でイギリスの劇作家の家にホームステイをしたことがあったんです。英国人は議論好きで、日本の文化やアイデンティティーなど根源的なことを聞かれました。ところが僕は、日本についてあまり考えたことがなかった。以来、「日本とは」「日本人とは」と考えるようになりました。帰国して家庭を持つようになり、子どもが生まれたとき、「そうだ! お米だ」と、閃(ひらめ)いたんです。毎日食べても飽きないお米は、何千年と日本の食を支えてきました。それだけでなく、お米作りから神様や文化が生まれています。
阿木 日本人のDNAに組み込まれているんでしょうね。
永島 そう思います。かつて、大家族で周囲に親戚が多くいた時代の人たちは、幼い兄弟の世話や親戚や近所の子どもの面倒を見たりして子育てを覚えていったけど、核家族化した地方出身者同士が都会で結婚して子どもができると、子育てはどうするんだと悩むんです。そんなとき、僕たち夫婦は幼いころを振り返ってみたら、遊んでばかりの記憶しかなかった。
阿木 子どもは遊ぶのが仕事。
永島 僕は旅館の息子だったので、親が「体に悪いから勉強するな」って育てられた(笑)。
阿木 私も同じです(笑)。家で宿題をしていると叱られて、「家事を手伝いなさい」って。そのお陰で料理を覚えました。
永島 僕も薪(まき)割りや洗濯など、旅館の仕事を知らず知らずのうちに身に着けました。時間が空いたとき、遊ぶか映画を観るかでしたね。そんなわけで、娘にも遊ばせようと思ったんですが、遊ぶところがない。公園があっても自由に遊べる場所がない。そこで、大学時代の野球部の仲間が秋田県にいたので、米作りをやらせてもらおうということになったんです。娘は泥遊びができ、僕は米作りが学べる、一石二鳥だと思ったんです。
阿木 ちょっと時間を遡(さかのぼ)ってみたいのですが......。永島さんが幼いころから映画をご覧になっていたのは、お父様の影響ですよね。高校時代は野球部に入り野球漬け、大学でも同じ。でも、在学中にお父様が映画「ドカベン」((注1))のオーディションに応募したことから俳優デビューを飾られた。それまで野球一筋の青春から、まったく違った道に進まれたわけですが......。
永島 そうですね。元々、僕は人前で何かをやるなんて苦手だし、考えてもみなかった。でも、出会った監督さん(鈴木則文氏)に恵まれました。よく言われたのが、「大根役者じゃなく、お前の場合は掘りたての大根だ」って(笑)。
阿木 それは新鮮ってこと?(笑)
永島 だといいんですが(笑)、「真っ白い大根だと刻んで使えるが、お前は泥まで付いている」と。
阿木 完成後、試写をご覧になって上映館すべてが火事になればいいと思われたとか(笑)。
永島 そうなんです。幼いころから映画を観てきたので、客観的に「こんな下手くそなヤツがスクリーンに出ていいのか」って。誰も観ないでほしいと思いました。

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