対談詳細

艶もたけなわ
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野村萬斎 狂言師

2015年6月14日号

阿木燿子の艶もたけなわ

 映画やドラマ、子ども番組、はたまたCMでよくお見かけする野村萬斎さん。しかし、萬斎さんは知っていても、実際に狂言を観た人は多いとはいえない。阿木さんもその一人でした。ところが、多くの作品群に触れ、その魅力にハマった阿木さん。狂言への素朴な質問からフラメンコとの意外な共通点まで、狂言の魅力に迫った1時間ー。

 ・人は上半身を鳴らすそうなんですが、僕は足からも声が出ていたんです。
 ・偉大なお父様を持たれて、追い抜いたという感覚になられたことは?
 ・芸で追い抜いたことはありませんが、人気は追い越したかもしれませんね(笑)。

阿木 今回、対談をさせていただくにあたって、2005年初演の「敦(あつし)─山月記・名人伝─」のDVDを観させていただきました。冒頭のシーンからグイグイ引き付けられました。
野村 ありがとうございます。
阿木 小説家、中島敦の人生とその作品がだぶり、狂言がだぶる。不思議な構成になっていますね。
野村 狂言師のアイデンティティーを生かして、他の人が作らない作品づくりを心がけています。既視感があるものではなく、珍しいものを作りたいと手掛けました。
阿木 狂言をベースにしながらも、斬新な切り口で......。
野村 これまでもいくつか作品を作ってきましたが、狂言の装束(衣装)だとどうしても現代劇として見ていただけないので、初めて現代服を着て、足袋を脱いで靴を履く。狂言師がいろいろなチャレンジをした作品です。
阿木 劇中、皆さんが声を揃(そろ)えて朗々と語る、その一糸乱れぬセリフ運びに驚きました。どうやったら、あんなふうにぴったり合うんでしょうか。
野村 五七調の部分で覚えることもあるでしょうが、メロディーはないけれど抑揚をつけて「語ル」のが狂言の手法です。共演者は同じ釜の飯を食った一門の狂言師なので、親和性があったのではないでしょうか。
阿木 拝見させていただいた前作では、お父様の万作さんの、特に後半の演技は胸に迫るものがありました。
野村 ありがとうございます。
阿木 今月、「敦」が再演されるそうですが、今回それぞれ役どころが違うんですね。
野村 はい。父が演じた数奇な運命をたどる詩人・李徴(りちよう)役は、僕が演じます。
阿木 そのことはお父様からの申し出だったのですか? それとも萬斎さんからの提案でしょうか。
野村 再演なので、一貫して僕が中心人物を演じるということで、どうなるかなと。
阿木 お父様が演じた李徴には、何ともいえない切なさがありましたが、お若い萬斎さんが演じると何に変わるのか、楽しみです。
野村 演劇は、演じる人間の実年齢が反映されます。父が李徴を演じると哀愁、郷愁が立つと思いますが、僕の場合はもっと敦に近く、心に虎を飼っている30代の男を演じることになると思います。
阿木 他の作品もDVDで堪能させていただきました。いとうせいこうさん作の新作狂言「鏡冠者(かがみかじや)」では、主人公が扇子を盃(さかずき)に見立ててお神酒を飲み干し、「こんなまずい酒は神様に供えられない」などと言いながら酔っ払っていく。それを演じる萬斎さんの飄々(ひようひよう)というか、ちょっと惚(とぼ)けた風情が何ともおかしくて(笑)。
野村 いとうさんのセンスが光っていますね。ヘンな話、作り込まれ過ぎちゃうと、僕らの"やりどころ"がなくなって、読んだほうが面白いというふうになってしまう。その演じる行間が大切です。
阿木 「鏡冠者」でふと思い出したのが、「シャボン玉ホリデー」というテレビの音楽番組なんですけど、萬斎さんはご存じですか?
野村 番組の名前は聞いたことがある程度です(苦笑)。
阿木 オープニングでは決まって双子のデュオ、ザ・ピーナッツが鏡を介して同じ身ぶり手ぶりをします。そういった手法、鏡を用いるアイデアを「鏡冠者」に取り入れるあたりが革新的だなって。
野村 実は、650年続く狂言の歴史の中で、鏡の芸がないんです。それをやってみたらどうなるんだろうと。また、双子というのにも意味があります。芸のDNAが転写されている人が、鏡をやるというのは非常に面白い趣向だったと思います。
阿木 そのように精力的に狂言の可能性を追求し続けている萬斎さんですが、お若い頃、スペイン舞踊の巨匠、アントニオ・ガデスに影響を受けられたとか......。
野村 憧れましたね。
阿木 私はフラメンコが好きでガデスは何度か観たんですが、狂言の方が影響を受けるというのが、意外な気がして。
野村 ガデスは踊る前の立ち姿、立ったときから決まります。
阿木 一流フラメンコ・ダンサーは、立っているだけでカッコいい。
野村 世界レベルでの共通点はそういうことだと思います。立った瞬間、そこで"勝負あり"です。僕も同じように、立ち方、姿勢、声も発した瞬間、"ドキッ"とするような存在感が必要かなという意識はありましたね。
阿木 狂言は跳躍するとき、上に跳ぶ意識ではなく、下に向かって落ちる感覚を大切にするそうですね。観客に重力を感じさせるためだとか。フラメンコも同じで、床に足を打ちつけてリズムを取る。その振動と音圧自体が表現という感じですよね。
野村 フラメンコと狂言が近いと思うのはまず足拍子、地面を踏み鳴らすということです。それと、共通しているのは「囃(はや)す」んですよね(そう言って、フラメンコのリズムで手拍子をする)。
阿木 あ、確かに、オーレって掛け声を掛けますものね。
野村 皆が踊り手に対してエネルギーを集約していく。シャーマニズム的なところがあるかもしれませんが、憑依(ひようい)していくというか、一人のエネルギーというよりも皆のエネルギーの依(よ)り代(しろ)になっていくというか、神を降ろしていくというところも似ているかなと思いますね。
阿木 もう一つ、萬斎さんのエピソードで興味深いのは、黒澤明監督の「蜘蛛巣城(くものすじよう)」を留学先のロンドンでご覧になって、大きなショックを受けられたとか。
野村 シェイクスピアを学び、作り手としての視点を持ったとき、日本人がシェイクスピアの「マクベス」を時代劇に"翻訳"して、これほどリアリティーを持った作品がすでに存在していたということに一クリエーターとして腰を抜かした感じです。
阿木 きっとロンドンでご覧になったことも影響していますよね?
野村 海外に身を置いて、日本人であること、狂言師であることを改めて感じました。その中で、黒澤監督がシェイクスピアという素材を、日本の伝統芸のさまざまな手法を駆使して時代劇に置き換え、世界で評価される。僕の理想的な形であり、それを実際に目の当たりにしたとき、「すげえなっ!」と感じたんです。シェイクスピアを使うことで世界的な土俵に上れる。サッカーに例えると、W杯のピッチに立てるということでしょう。
阿木 シェイクスピアの話が出たので、これもぜひお聞きしたいなと思っていたことですが、4大悲劇の一つ「マクベス」を演(や)っていらっしゃる。なぜ魔女側の視点から描いたのでしょうか。

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