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コロナを生き抜く「お金」術 達人直伝ピンチに"勝っ"金銭哲学 張本勲/仁支川峰子/杉村太蔵

2020年5月10日号

「成功者」―。一般的に、名をはせた芸能人やアスリートはそう呼ばれるのだろう。しかし、その陰ではたゆまぬ努力や苦労、そして「金銭哲学」がある。そこで、有名人たちが明かす隠れたエピソードとともに、おカネとの付き合い方を考えてみた。

 ◆極貧の逆境をはねのけた「お袋」の存在 野球評論家・張本勲

 ♪ぜいたく云わなきゃ 食えるじゃないか―♪

 1957(昭和32)年に流行したフランク永井のヒット曲「13,800円」の一節です。曲名の金額は、当時の大卒男子の平均初任給です。たとえ東大や京大を出ても、それぐらいしかもらえなかった時代に、私は翌年、200万円という大金を手にした。しかも高校3年生の時でした。プロ野球の東映(現在の日本ハム)に入団を決め、契約金を受け取ったのです。

 東映では、開幕戦からスタメンを任され、新人王を獲得しました。2年目に打率3割をマークし、3年目には首位打者に。巨人に移籍してからは、親友のワンちゃんこと王貞治選手とクリーンアップを組み、ロッテでは3000本安打を達成しました。

 そんな現役時代には、給料もうなぎ登りで上がり続けましたが、私は贅沢(ぜいたく)を慎み、常に節約に努めました。博打(ばくち)や女、酒は多少なりとも手を出しましたが、のめり込むことはありませんでした。それは「お袋」の存在があったからです。

 私のお袋は日本統治下の朝鮮半島で育ち、39年に海を渡り広島にやってきました。当時37歳。翌年私を産み、その直後に夫を病気で失いました。そして45年、被爆した。長女は帰らぬ人となり、残された我が子3人のために働きました。

 ◇亡くなって初めて見た「寝顔」

 言葉は話せない。字は書けない。そりゃあ、苦労したと思いますよ。私が小学校5年生の時でした。お袋は隣のおばちゃんの見様見まねで、ホルモン焼き屋を始めたのです。街外れにある橋のたもとに、ミカン箱を並べ、布を被せ、現場帰りの労働者を相手に、くず肉を焼いて振る舞った。密造酒も売った。店は、自宅のある集落からバスでも20分はかかる。でもお袋は、ただの一度も乗りませんでした。ラムネ1本分のバス代を惜しんだのです。

 そんなお袋の寝顔を、私は一度も見たことがありませんでした。

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