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内田前監督の「永久追放」 これで終わるのか!「強権支配」

2018年6月17日号

◇常務理事も辞任

▼内田前監督は田中理事長の「後継者」だった!

▼学生を「見殺し」にした異常な支配構造

 日大アメフット部の守備選手による悪質タックルは、内田正人前監督が5月30日付で大学の常務理事職を辞任する事態に発展した。「世紀の蛮行」と呼ばれる反則行為が起きた背景を探ると、指揮官による異常ともいえる強権支配の構図が浮かんできた。

 学生アメリカンフットボールのカリスマ指導者、故・篠竹幹夫氏は手塩にかけて育てた日本大学フェニックスの惨状に天国で涙しているのではないだろうか。
 日大アメフット部─。大学日本一を争う全日本大学選手権「毎日甲子園ボウル」で21回の優勝を果たした名門。昨年の第72回大会決勝では関西の雄、関西学院大を降して27年ぶりの復活優勝を遂げ、話題をさらったばかりだ。日大の優勝回数は、トップの関学大(28回)に次ぐ記録である。
 日大と関学大は、よきライバルでもあった。ユニホームの色から「赤」と「青」の対決として知られる日大─関学大の定期戦は、互いに切磋琢磨(せっさたくま)する場として広く知られてきた。アメフット界のみならず、社会全体を巻き込む騒動に発展した日大の悪質タックルはあろうことか、その定期戦の試合開始早々に起きた。
 5月6日、東京都調布市のアミノバイタルフィールド。キックオフ直後の関学大の攻撃。パスの受け手を探して、右サイドに流れていった司令塔のQB(クオーターバック)の奥野耕世選手(19)の背後を、守りの最前線にいた宮川泰介選手(20)が逆サイドから迫っていた。奥野選手のパスが失敗して、プレーが終了してから約2秒後。腰の下に宮川選手の激しいタックルが入って、奥野選手はもんどりを打って倒れた。宮川選手はその後、2度の反則を繰り返して退場した。
 タックルされた瞬間、奥野選手が緩やかながらも動いていたのは、不幸中の幸いだった。もし立ち止まっていたら、より深刻な負傷に至ったはずだ。関学大の小野宏(ひろむ)ディレクター(57)が「普通に町を歩いていて、体重100キロを超えた選手がスピードに乗って当たってきたときの衝撃を想像してほしい」と憤りを隠さなかったのも当然だろう。

 ◇「僕は相当プレッシャーかけてる」

 試合は関学大が日大を制したが、関学大の鳥内秀晃監督(59)は憮然(ぶぜん)とした表情で挨拶(あいさつ)に来た日大選手の握手を拒否した。そして波紋を呼んだのは、試合後に日大の内田正人監督(62)=19日付で辞任=が報道陣の取材に応じた内容だった。流出した音声ファイルから再現してみよう。

記者 鳥内さんはあれで試合を壊されたと。
内田 よく言うよ。何年か前の関学が一番汚いでしょ。オフレコですよ。うちはそんなにエリートそろってないから必死なんですよ。しょうがないですよ。僕がこういう性格だから。こうなっちゃうんですよ。
記者 今日の収穫は?
内田 まあ一皮むけたところが出てきたかな。僕がやっているんだからしょうがないでしょ。こういう性格だから。僕、相当プレッシャーかけてるから。
記者 宮川選手に?
内田 宮川でも、全てのディフェンス(選手)でも。飛び込んでみないと分からないから、どういう世界か。それが反則であるっていうのであれば僕の責任だし。こんなこと言っちゃ悪いんだけど、宮川はよくやったと思いますよ。もっといじめますけどね。だからそろそろ良くなるんじゃないですかね、宮川。法律的には良くないかもしれないけど。今の子、待ちの姿勢になっちゃうから。だから、それをどっかで変えてやらないと。ミスしちゃダメよ、反則しちゃダメよというのは簡単なんですよ。内田がやれって言ったって、本当に書いてもいいですよ。
記者 書き方難しいな、ラフプレーは。
内田 内田がやれって言ったでいいじゃないですか。あのくらいラフプレーにならないでしょ。
記者 正直ちょっとひどかった。
内田 ひどかった?
記者 ひどかったですよ、あれは笛が鳴った後ですから。
内田 昔、僕らは毎試合やってたよ。
 顔見知りの記者ばかりで思わず本音を漏らしたのだろう。日大は後にこのやり取りを撤回したが、「世紀の蛮行」といわれた悪質タックルが、内田氏の指示だったとうかがわせるに十分な内容だった。
 いくら名門対決とはいえ、いかんせん国内ではマイナー競技だ。悪質反則の場面の映像を拡散させて社会に問題提起したソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の力を、狭い世界で強権を振るってきた名物指導者は読みきれなかったに違いない。
 では、内田氏とはいかなる人物なのか、その足跡をたどってみる。
 内田氏は甲子園ボウルで日大を17度の優勝に導いた篠竹幹夫元監督(2006年に73歳で死去)の下で選手としてプレーした。卒業後は母校に就職し、寡黙で忠実なコーチ役として仕えていた。篠竹元監督といえば多彩なパスで攻め立てる「ショットガン」戦術を発展させ、米国発祥の競技を日本流にアレンジして一時代を築いたカリスマ指導者だが、練習は長く厳しく、鉄拳制裁も辞さなかった。

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