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 「ええで、ええで」と選手を育て 「名将」上田利治元阪急監督逝く

2017年7月23日号

 プロ野球阪急(現オリックス)の監督として黄金時代を築いた熱血の名将、上田利治氏が7月1日、肺炎のため死去した。80歳。1974年から37歳の若さで阪急の監督に就任し、75年から3年連続で日本一になるなど常勝軍団に育て上げた。阪急、オリックス、日本ハムでの監督通算20年間で1322勝1136敗116分けで日本一3度、リーグ優勝5度。
 強打の捕手として関西大で村山実投手(元阪神)とバッテリーを組み、2年時に全日本大学選手権を制覇。1959年に広島に入団したが、右肩の故障などで選手としては力を発揮できず、わずか3年で現役を退いた。だが、優れた能力を評価した首脳陣に認められ、引退直後に25歳でコーチに就任。阪急のヘッドコーチを経て、74年から阪急の監督を務めた。この時代は1学年上の野村克也が南海、長嶋茂雄が巨人、同学年の古葉竹識が広島で監督に就任しており、「青年監督対決」として話題を集めた。
 上田監督を語るうえで忘れられないのが、4年連続日本一がかかった78年の日本シリーズ。第7戦でヤクルトの大杉勝男が放った左翼ポール際への本塁打に対して、「絶対にファウルだ」と審判団に激しく抗議。コミッショナーの説得にも納得せず、1時間19分もの中断を招いた。
 この「事件」を思えば、頑固で強情な性格とも見えるが、実は選手やファン、メディアに温かい気配りをする監督だった。選手を「ええで、ええで」と褒めて育て、長い目で見て機会を与え続ける指導力は、現役で力を出し切れなかった経験から出たものだ。
 サービス精神に満ちた対応は「パ・リーグ人気」を考えたものだった。全国的に巨人ファンが多く、関西では阪神のニュースばかり。埋没していた阪急の話題をいかに全国に発信するか......を考えていた。現在のパ・リーグを築いた功労者だった。
(水木圭)

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