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浅田真央 「笑顔と涙」26年の全人生 努力で輝いたスケート人生

2017年4月30日号

▼4・12「感涙会見」で分かった「引き際」のウラ

 「たくさん悩んだけど、やり残したことはない」。引退会見した天才スケーター・浅田真央選手(26)の表情からは、努力を尽くした充足感が伝わってきた。最愛の母、コーチや仲間と歩んだスケート人生を、近くで見守った本誌記者が、とっておきの秘話を綴る。

 身にまとった純白のスーツのように、清々(すがすが)しい引退会見だった。
「私、浅田真央は選手生活を終える決断をしました。体も気力も出し切ったので、今は悔いはないです」
 4月12日、浅田真央(26)が東京都内で会見を開いた。このタイミングで引退を決めた理由についても、自らの口で明かした。そこには、真央ちゃんらしく最後まで一徹さを貫いた強い思いがあった。
 1990年9月、浅田家の次女として名古屋市に生まれた真央ちゃんは、2011年に亡くなった母・匡子(きょうこ)さん(享年48)の影響で3歳からクラシックバレエを始めた。2年後、姉とともにたまたま訪れたスケートリンクでフィギュアと出合い、虜(とりこ)になった。当時から付き合いがある元五輪選手で全日本王者の小塚嗣彦(つぐひこ)氏(70)が述懐する。
「真央ちゃんには大器の片鱗(へんりん)が感じられ、瞬く間に姉の舞ちゃんを追い越していきました。脚力が特別あるわけではないのですが、いとも簡単にジャンプを成功させるんです。まっすぐに跳び、回転軸がしっかりしていて、ぶれることがない。これは教えても、練習しても、なかなかできることではありません。加えて、スケートが楽しかったのでしょう、非常に練習熱心でした」
 スケートを始めて間もない頃に見せた、天才肌といえる技術習得の能力、そしてスケートに打ち込む姿勢。そこに原点があったのだ。
 小学生になると、氷上にいる時間は連日6時間にも及んだ。大会でメダルをもらうようになると、さらに夢中になっていった。02年、小学校6年生で初出場した全日本では、3連続3回転ジャンプを成功させ、周囲を驚かせた。
 真央ちゃんにとって欠かせないのが、母・匡子さんの存在だ。フィギュア関係者が振り返る。
「真央ママは毎日リンクに来て、まるで専属コーチのようでした。自分にテクニックはなかったけど、コーチ顔負けの見る目の確かさと知識があり、フィギュアを深く理解していました」
 すでに母と娘の二人三脚の歩みが始まっていた。匡子さんはほとんどメディアに登場しなかったが、06年、真央ちゃんが15歳のときに一度だけ本誌のインタビューに応じたことがある。そのとき、「不規則で長時間の練習は小さな体にはつらいはず」としながら、「やるからには徹底してやる、というのが私の方針。この10年間、遠征の移動日を除くと一日も休みなく練習してきました。大晦日(みそか)も元旦も、多少の風邪をひいても......」と語り、それでも「休みたい」と弱音を吐くことは一度もなかったという。

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