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 英国の女性参政権運動描く秀作 「未来を花束にして」が問うもの

2017年1月22日号

 昨今の国会はろくに議論もせず採決強行の連続で、安倍晋三首相の鶴の一声で1月の衆院選も囁(ささや)かれている。いかに政治に無関心でもこれでいいのか、と問いたくなる。
 ルソーの『社会契約論』に有名な一節がある。〈イギリス人は自由だと思っている。それは大きな間違いだ。彼らが自由なのは選挙の間だけで、議員が選ばれるや否や奴隷となり、ゼロになってしまう〉。いまの日本に、そのまま当てはまる。
 そのイギリスで100年余も前に「女性にも参政権を」と闘った人々を描く、サラ・ガヴロン監督の「未来を花束にして」が公開される。ロンドンの洗濯工場で働くモードが主人公で、彼女は7歳のときから働き続け、結婚して幼い息子を育てている。
 その時代、女性は法の外におかれ、男性より労働時間は長く、賃金は低く、選挙権も親権もなかった。モードは参政権運動にかかわった仲間に議会の公聴会に連れていかれ、その生き方は一変する。彼女が公聴会で大臣に境遇を問われるがままに答えていくシーンが感動的である。
大臣「あなたにとって選挙権とは何か?」
モード「ないと思っていたので意見もありません」
 沈黙があって。
大臣「ではなぜここに?」
モード「もしかしたら......他の生き方があるのでは、と」
 しかし、議会はモードの淡い夢を打ちくだく。彼女は投獄され、息子も養子に出され、すべてを失ってしまう。
 映画は実話を基にしていて、当時の指導者にメリル・ストリープがちょい役で出ているが、その存在感は圧倒的だ。これは当時の参政権を求めた女性たちの苦難の歴史の一面を描いている。が、その闘いに誰しもひきつけられよう。
 日本でも平塚らいてうや市川房枝らが闘った。それなのに、いまや参政権そのものがなし崩しにされ、空洞化しつつある。映画は先人たちの思いを無にしていいのかと問うている。
(木下昌明)

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