政治・社会詳細

News Navi
loading...

「森鴎外の孫」小堀医師に"密着" 「人生をしまう時間」と在宅医療

2019年9月22日号

 江藤淳が著書『妻と私』のなかで、死の床にあった妻が「もうなにもかも、みんな終わってしまった」と漏らしたと書いた言葉を、ふと思い起こすことがある。

 下村幸子監督の「人生をしまう時間(とき)」を見た折もその一言が想起された。それは自ら死を語る段になって誰にも訪れる心境だからだろう。

 この映画は、終末期を迎えた人々の「在宅死」に焦点を当てている。それを患者側でなく医療の側から、という点が特徴といえる。

 舞台は埼玉県新座市の堀ノ内病院。そこに訪問医のチームがあって、2人の医師と看護師やケアマネジャーが詰めている。そのなかでカメラは、特に80歳の小堀鴎一郎医師を追いかけている。彼は森鴎外の孫という。長年外科医として数多くの患者に立ち会ったべテラン。定年後は在宅医として患者を看取(みと)っている。

 トップシーンは、彼が自ら運転して市内の患者宅を見回っているところから。患者は高齢者が多く、病気も多様で、対応も異なってくる。

 彼はもう一人の56歳になる医師と分担しながら患者宅を訪ねる。その様子が興味深い。これから老いを迎える人にも参考になるだろう。動けない患者には簡易トイレがあったり、簡易風呂を持ち込んだり、それぞれの介護の仕方に目を見張る。子宮頸(けい)がんで苦しむ52歳の患者にその日その日に苦慮する医師の悩みなども、考えさせられる。<br>

 なかでも百目柿のある家でのシーンが心に残る。84歳の寝たきりの父を介護するのは47歳の盲目の娘。死ぬに死ねない父と長生きしてほしいと願う娘との関係が胸を打つ。いよいよ父を看取る時、医師は娘に父の喉仏に手を当てさせる。静かに息絶えていくのを娘が周りに伝える。そのいじらしさ。彼女はこれからどうするのだろう。―映画は「人生をしまう」人々の姿を介して「生きる」ことを問うている。(木下昌明)

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

コラム