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「宗教」はどこへ向かうのか 五木寛之×中沢新一

2019年5月 5日号

新・日本論
日本と世界 歴史「地層」探訪/1 

 ◇来たるべき時代、これからの人間の生と死を、歴史からの視線で読み解く白熱の対話

中沢 平成が始まった1989年は、ベルリンの壁が崩壊した年です。今、世界の流れを見ていると、あらためて壁崩壊の意味について考えさせられます。あのとき壊れたのは何だったのか、と。

五木 壁が壊れるというのは象徴的ですね。そして今まさにトランプがアメリカとメキシコの国境に壁を建設しようと躍起になっています。古い壁が崩壊し、新しい壁が建設される。スリリングな時代に差しかかっているんじゃないでしょうか。

中沢 東西ドイツ統一が1990年、ソ連崩壊が91年。あの頃、何かがまざまざと変わっていく現場をじかに見たいと思って、僕は頻繁にソ連に出かけました。それ以前から中国の文化大革命の末期やチャウシェスクが失脚する前後のルーマニアなどに行っていたのですが、人間が築いてきたシステムが瓦解(がかい)する最後の時期をこの目で見たいという欲求に突き動かされていました。90年前後のロシアを歩きながら、この変化は20~30年後に世界史にとても大きな意味をもってくるという直感を持ちました。今がちょうどその30年後です。

五木 中沢さんが当時のロシアに行っていたとは初耳ですね。僕が行ったのは65年の夏でした。

中沢 ブレジネフの時代ですね。よく語られるストーリーとして、20世紀から21世紀へ向かう時代は、共産主義が資本主義によって倒され、世界がグローバリズムに突入したと言われます。しかし僕はこの流れを別の角度から語ってみたい。宗教や精神の面からです。そもそもロシア革命は、近代化された宗教革命だったのではないかと僕は考えています。ここで言う宗教とは、特定の教祖や教派への信仰というよりも、既存の共同体を超えて、より高い次元の共同体を目指す運動のことです。
 これは人類史が始まって以来、常にくりかえされてきたことです。たとえばホモ・サピエンスが登場した旧石器時代に開始された洞窟儀式からそうでした。ある人たちが短期的に出家して少数精鋭の集団を組織し、超越者と会うために洞窟に籠(こ)もる。つまり普通の生活における共同体の原理とは異なる、宗教性の原理が人間の生活に組み込まれるプロセスですね。以来、教会や寺社などがそれを支え、近代に入ってからは同じ精神性が反宗教革命に形を変えながら、人類は宗教性を何らかの形で失うことなく保ち続けてきました。
 世界中でロシアだけが、宗教の20世紀化に成功しました。僕は共産主義もひとつの宗教性の共同体だと捉えています。ロシアの根底にはロシア正教がある。キリスト教のなかでも熱狂的にスピリチュアリティを重んじる宗教ですが、この霊性がソビエトという表面上は真逆の政治容器の中で保存されていた。語弊を恐れずに言えば、この宗教性が共産主義国家を、ひいてはスターリンの独裁体制をつくってしまったとも言える。そこにあるのは、宗教に必ずつきまとう、異端の排除です。

五木 なるほど。異端をつくって排除することで、正統が輝きだす、と。正統を確立させるためには、異端が必要になるわけですね。スターリンの徹底的な粛清、反ソ的な人物をあぶり出していく過程は、ソビエトが社会主義を確立していく上での科学的な反応だったかもしれない。

中沢 既存のモデルを超えて新たに共産主義という共同体をつくるには、共産主義的人間をつくらなくてはいけない。人間が普遍的に提起するような問題は、否定しなくてはいけない。そこで庶民については力で弾圧するけれども、抵抗力の強いインテリや宗教家や芸術家はシベリアに送ったり銃殺したりしてしまった。
 人類が超越的なものを自らに組み込もうとするとき、そこで生まれる問題を処理するために宗教が発生する。その営みを人類は3万年ほど続けてきたわけです。しかし、ベルリンの壁崩壊からソ連崩壊の流れの中で、宗教というもの自体の長い歴史が終わろうとしている、僕はそう感じました。

 ◇築地市場は庶民の魂の故郷

五木 壁の崩壊は抑圧の打破という意味では正当だったけれども、破壊されたのは壁だけではない。人々の魂の拠(よ)り所も壊された。中沢さんが宗教性、霊性、精神性と指摘されたものです。

 ところで身近な話に移りますが、築地市場の問題がありますよね。僕は学生時代、築地、月島、佃島(つくだじま)、あの辺りに業界紙を配達するアルバイトをしていました。業界紙といえども8ページも12ページもある立派な日刊紙が山のようにあったんですね。配達員として町を歩きまわって実感したんですが、築地と築地本願寺は切っても切り離せないものではないか、ということです。築地は、漁民や労働者たちの生活基盤をなす市場であるとともに、魂の故郷ともいうべき土地ではないのか。
 歴史をひもとけば、本願寺中興の祖である蓮如(れんにょ)が支持を集めたのが江州(ごうしゅう)(滋賀県)の堅田(かたた)衆で、堅田衆といえば漁民や船主を中心に自治をおこなっていた人たちです。のちにそういった人びとが浄土真宗の念仏を唱えながらモッコで土を運んで埋め立てた。そうしてできたのが築地という土地ですね。
 市場は単なる経済の拠点ではなく、庶民たちの魂の拠り所である。また、そうでなければ成立しないのが市場ではないのか。

中沢 昨年6月、豊洲への移転に先駆けて、築地市場内に祀(まつ)られていた水神様が遷座されました。豊洲の遥拝所(ようはいじょ)が未完成だったために一旦は神田明神に移され、その後正式に豊洲に遷座された。驚いたことに、これは多くの市場業者に知らされず、豊洲移転推進派によって強行されました。ところがここに勘違いがあります。御神体を移せば神様も移動するとでも思っているのでしょう。人が込める魂がなければ神はないし、また神はそれを信仰する人の心に宿るものです。その神は儀式や風習を通して地域に根づいていく。築地にはその歴史があった。それを断ち切るようなやり方をして、豊洲に魂の拠り所ができるのかどうか。市場業者の方が心配していました。

五木 一方、築地のほうでも、市場を失った本願寺がこれから一体どうなるのか。
 考えてみると、都市の成立に宗教は欠かせないものです。それを考えるのに、城下町と寺内町(じないまち)の対比が重要です。城下町というのは、城を中心として権力が集まり、その下に町がつくられる。ひとたび合戦が始まれば、城につめる家臣たちは城門を閉めて立て籠もり、庶民たちは車を引っ張って遠くに逃げる。あくまで中央の権力を守るための都市構造になっているんですね。
 一方の寺内町というのは、城下町のような垂直的な権力構造をもたない。寺があり、そこに集まる人々が物資や薬草などをもってきて交換したり貨幣に換える。手に入れた貨幣はお布施というかたちで寺社に差し出す。そんなふうにして税金を徴収されないフリーマーケットが寺社内にできてくる。瓦職人や土木職人、商人たちも集まり、寺を中心に集落が形成される。そして町の外側に水濠(すいごう)を掘って防備を固め、都市をつくった。寺が滅びるときは町が滅びるというのが寺内町。町が滅びるときは寺も滅びる。寺内町は水平的な構造をもつ宗教自治都市なんですよね。
 この自治性を恐れた武将が織田信長です。税が徴収されないということは、つまり法律を介入させずに自律しているということです。信長は全国の大名よりも寺内町の草の根の連合体を恐れ、彼ら浄土真宗徒たちの一向一揆を徹底的に潰した。寺内町の地下茎のようなネットワークにかかれば、3日のうちに東北から西日本に情報が伝わったともいいます。僕は寺内町の発祥は福井の吉崎だと思うけど、やはり有名なのは石山本願寺を中心にした大坂寺内町でしょうね。
 信長は石山本願寺を破壊したけれども、四散した民たちはやがて北御堂・南御堂をつくり、東西の本願寺ができるとまた戻ってくる。朝な夕なに御堂の鐘が聞こえる場所に店を構えたいというのが民たちの夢ですからね。そうして御堂筋が活性化していき、製薬産業や繊維産業、銀行も証券会社もやってきて、ついには東アジア最大のビジネスセンターができあがった。これが現在の御堂筋です。
 今は都市を経済面から動かそうとするばかりで、その根底にあるものを考えようとしない。宗教や革命、人々の文化が根底にあることが忘れられているんじゃないか。

 

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