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新世代の「世阿弥」「マーク・トウェイン」出でよ!

2019年4月14日号

オンリー・イエスタデイ平成=内田樹

 経済、宗教、民族―。さまざまな理由により世界中で深刻な対立が生じている。そんな中、思想家の内田樹氏(68)は、能作者・世阿弥とマーク・トウェインの再来を求めている。2人がどう対立と関わるのか。自らも能を習い、マーク・トウェインにも通じる内田氏が論じる。

 観世(※1)のお家元が大阪の大槻能楽堂で『屋島』(※2)をされることになって、その前座で「お話」をするように頼まれた。
 私も観世流の末流に連なる一人なので、お家元からのご指名であれば、一も二もない。しかし、何を話せばいいのか分からない。
 舞(※3)と謡(※4)はそれなりにまじめに稽古(けいこ)しているけれど、私自身は能楽の研究者ではない。『屋島』も謡の稽古はしたことがあるが、舞台を見たことがない。
 やむなく、「世阿弥は日本のマーク・トウェイン(※5)だ」というその日の朝に思いついた話をした。思いつきにしては妙に辻褄(つじつま)があっていたので、ここに披歴して諸賢の叱正を請いたいと思う。
 そんな閑話に週刊誌の何頁かを割くほどの時事的緊急性があるのかと怒り出す人もいられるや知れぬが、最後まで読んで頂(いただ)ければ、それなりにアクチュアル(※6)な論件であることが分かるはずである。

 ◇源平合戦=エネルギー戦争

 世阿弥=マーク・トウェイン説に行く前に、まず「源平合戦はエネルギー戦争であった」というところから話を始めたい。

 古代日本には「海部(あまべ)」と「馬飼部(うまかいべ)」という職能民(※7)がいた。「部」というのは専門的な技能をもって天皇豪族に仕えた人々のことである。錦織部(にしごりべ)・須恵部(すえべ)・麻績部(おみべ)・鳥飼部(とりかいべ)などは文字列を見ただけで何の職能か知れる。
 その中にあって海部は操船技術によって、馬飼部は牧畜と騎乗の技術によって天皇に仕えた。海部は風と水を、馬飼部は獣を、それぞれに制御し、それが蔵する「野生のエネルギー」を人間的に有用なものに変換する技能の専門家集団だった。
 だから、産業構造の変化にともなってエネルギー消費量が増大するにつれ、二つの職能民の政治的プレゼンス(※8)が増大したのは当然のことだった。
 海部の流れを汲(く)む平家は沿海部に知行地(※9)を展開し、清盛の父、忠盛(※10)の代に伊勢に拠点を置く一大海軍勢力となった。一方、馬飼部の血に連なる源氏は坂東の地(※11)に勢力を扶植し、騎乗・騎射の妙術を誇る坂東武者軍団を形成した。
 保元・平治の乱(※12)の後に平清盛が天下を取って、福原に遷都したのは、日宋貿易(※13)を足がかりに、東シナ海に広がる一大海上帝国を建設するためだった。海民としては当然の構想である。
 しかし、そんな海民中心の国家戦略を実現されてしまっては陸戦の専門家たちの立つ瀬がない。そこで「海の民」か「陸の民」かいずれがヘゲモニー(※14)を執るべきかを賭けた死に物狂いの闘争が始まった......それが源平合戦である。
 というのが私の「源平合戦=エネルギー戦争論」である。学会の定説でもなんでもないので、うっかり人に話したりすると社会的信用を失うリスクがあるので、取り扱いにはご注意されたい。
 しかし、海の民と陸の民の非妥協的な戦いが歴史の推力であるというのは私の創見ではない。カール・シュミット(※15)が『陸と海と』で説いた説である〈「世界史は陸の国にたいする海の国のたたかい、海の国にたいする陸の国のたたかいの歴史である」〉。日本ではそれがたまさか職能民間の「内戦」として経験されたのである。
 だから、『平家物語』ではつねに戦いは「沖には平家の赤い旗、陸には源氏の白い旗」という図像的な対比のうちで行われる。源氏は倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いでは角に松明(たいまつ)をつけた牛を放ち、鵯越(ひよどりごえ)では断崖を騎馬で駆け下り、屋島では海を馬で押し渡る。
 源氏はつねに野生獣のエネルギーの巨大さをみせつけることで平家を圧倒するという戦術にこだわった。だから、義経は「逆櫓(さかろ)」の逸話では、梶原景時が提案した操船の容易な船の使用を拒み、「弓流し」では取り落とした弓の回収のために命をかける。
 戦術的にはいずれもナンセンスなのだが、後世はこれを義経の偉業にカウントした。それは義経が「騎乗・騎射の技術のみを以(もっ)て平家に勝たなければ、勝ったことにならない」と考えていた(つまり源平合戦の本質を理解していた)ことを意味している。
『屋島』というのはこの「弓流し」のエピソードを軸に組み立てられた物語である。だから、そういうつもりで見ると面白いかも知れませんと見所(けんじょ)のお客さんたちにアドバイスして時計を見たらまだ時間がだいぶ余っている。そこで、なぜ能楽はこれほど源平合戦に取材した曲が多いのかについて私見を述べた。
 それは世阿弥が日本のマーク・トウェインだからである。

 ◇南北戦争と「ハック」の存在

 マーク・トウェインは「アメリカ文学の父」と呼ばれている。アーネスト・ヘミングウェイ(※16)は「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』(※17)と呼ばれる一冊に由来する」と断言している。 どうして、ジェイムズ・フェニモア・クーパー(※18)でも、ハーマン・メルヴィル(※19)でも、エドガー=アラン・ポウ(※20)でもなくて、マーク・トウェインが「父」であり、「アメリカ文学の源泉」と呼ばれるのか。

 私は寡聞にしてその理由を知らない。正直言って、作品の文学的完成度から言っても、世界文学史的な意義から申し上げても、『ハックルベリー・フィンの冒険』がアメリカ第一の小説であると断言するためには、かなりの無謀さが要るであろう。
 しかし、「マーク・トウェインがアメリカ文学の父」という判断に反対するアメリカ人は少ない。なにしろ、アメリカ共産党の書記長だったウィリアム・Z・フォスターにして、アメリカ共産主義運動の知的淵源(えんげん)の一人としてマルクス、エンゲルス、レーニン、ジェファーソン、リンカーンと並んでマーク・トウェインの名を挙げているのである。
 この国民的ポピュラリティを説明するために私が思いついたのが、マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』において南北戦争で分断されたアメリカを再統合する「鎮魂と和解の物語」を語ったのではないかという仮説である。彼はその功によって他に類を見ないほどの国民的な敬意と親愛の対象となった。
 マーク・トウェイン自身は南部人である。南北戦争では南軍に志願して、少尉として従軍している(すぐに除隊して、南部を離れたが)。だから、彼が造型したハックルベリー・フィンもまた南部の価値観を深く身体化した、骨の髄まで南部的な少年である。
 物語の舞台は「南部的な諸制度」が政治的に正しくないものとして断罪されるより前の時代の話(1830~40年代)である。だから、奴隷制度について、ハックがその正当性について悩むということはない。それは「あって当たり前」の制度であって、黒人奴隷を自分たち白人と権利上同列のものとみなすような人権主義的なアイディアはハックの脳裏に去来することがない。しかし、遠く離れた土地へ売られることになった奴隷のジムに対して、ハックは電撃的な「惻隠(そくいん)の情」にとらえられ、その逃亡を支援してしまう。
 だから、物語の中でハックは奴隷制という「正しい制度」(※21)に違背することへの罪の意識と、その制度の犠牲者であるジムに対する親愛と敬意に引き裂かれ続けている。
 ハックのこの葛藤は、奴隷制の可否によって分断された南北アメリカ人にとって一種の「非武装中立地帯」のようなものに見えたのではないかと私は思う。おそらく『ハックルベリー・フィンの冒険』は南北戦争の後、深く分断された南北のアメリカ人が「党派的な違和感なしに読めた最初の小説」だったのである。
 そのような「中立的」な物語は南北戦争が終わった1865年から85年に『ハックルベリー・フィンの冒険』が出版されるまでの20年間に誰によっても書かれなかった(たぶん)。マーク・トウェインが最初にそれを書いた。だから、彼は「アメリカ文学の父」と称されたのである。
 というようなことを前に新訳『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)をめぐって柴田元幸さん(※22)と対談したときに思いついた。思いついただけで、そのまま黙っていたのだが、源平合戦のことを考えているうちに、世阿弥についても同じことが言えるのではないかと思ったのである。
 世阿弥はマーク・トウェイン的な意味での「日本文学の父」なのではないか、と。というのは、世阿弥は源平合戦という日本を二分した史上最も暴力的な内戦について、源平どちらに与(くみ)する者たちにも党派的対抗心をかき立てることのない物語を繰り返し語ったからである。
 能楽の現行200曲のうち、源平合戦に取材したものは、『屋島』『船弁慶』『橋弁慶』『安宅』『鞍馬天狗』『敦盛』『清経』『経正』『盛久』『正尊』『俊寛』『重衡』『景清』『大仏供養』『大原御幸』......など20曲を超える。

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