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放送大教授・松原隆一郎×評論家・中野剛志 『Hanada』『WiLL』路線を叱る

2019年3月24日号

 ◇モラル失われし論壇! 嫌韓、反リベラル・朝日新聞

 保守系オピニオン誌の見出しには、自らの主張に反する勢力に対しての排他的言辞や、排外的などぎつい言辞があふれる。果たして正常な言論なのか。そうした状況を憂える保守論客がいる。松原隆一郎、中野剛志の両氏である。異色対談は保守論壇だけでなく、天皇論、安倍政権論などに及ぶ。それはまた、保守・リベラル陣営の境界について考えさせられるダイアローグである。

(司会・構成/山家圭)

 ◇松原「ネトウヨの生みの親は民主党政権と朝日新聞」  

◇中野「保守は今の右派雑誌でダメになったのではなく前から堕ちていた」

松原 保守(右派)論壇は今、モラルを失っています。例えば、『Hanada』(飛鳥新社)が「朝日は、やっぱり『死ね!』」と題する国会議員の文章を載せたり(2018年2月号)、『WiLL』(ワック)が韓国軍のレーダー照射問題を扱った論考に「やられたらやり返せ!」と題したり(19年3月号)。言論は押したり引いたりの芸のはずなのに、「死ね」とか「やり返せ」といった幼稚語を使ったら、やりとりが途絶えてしまう。これらの表現は、煽(あお)りという"シャブ"を打っているようなもので、不健全と言わざるをえません。

中野 昨年秋に翻訳出版された『民主主義の死に方』(*)では、歴史的に蓄積されたモラルやルール、規範といったインフォーマルな知恵こそ、相手との決定的な対立を防ぐと指摘しています。モラルの中でも特に「寛容」と「自制心」が肝要で、それらが「柔らかいガードレール」となって社会、あるいは民主主義がうまく回っていくというのです。保守は本来、こうした歴史的な知恵を大切にするはずですが、今や保守論壇がそれを失っている。

松原 シャレにならない、倒錯した状況ですね。

中野 ええ。同じ社会の成員に「死ね」「やり返すぞ」と言ったら、共存できません。分断や対立が深刻化するだけです。
 それから、もう一つ時代状況を言えば、現代人は、曖昧さを嫌って、分かりやすさや単純さを求めがちだということです。言論でいえば、テレビの討論番組の司会者です。ちょっと込み入ったことや抽象的なことを言うと、「分かりにくい! もっとはっきり言ってくれなきゃ!」というアレです。保守論壇もまさにそうなっていて、だからこそ、すぐに敵味方を区分けして「対立者をやっつけろ」となってしまう。

松原 「曖昧さ」もまた、社会を回したり、相手との対立を回避したりする保守の知恵のはずです。お互いの間にすぐには解決しそうにない問題がある時には、無理に事を割り切らず「ひとまず曖昧にやっていく」ということも必要です。曖昧さに耐えていくのです。後で言いますが、今の日韓関係はまさにこの知恵が必要です。
 また保守派は、特に文芸関係の書き手がそうでしたが、相手を大上段から過剰に非難しないで、ユーモアを交えながら書いていたはずです。ちょっとからかってみたり、時には逆に自虐的になったり。保守派の評論家、劇作家として活躍した福田恆存(つねあり)のように、ユーモアから怖い文章が生まれたりもした。
 政治家だって今とは違って、かつてはウイットを利かせていたものです。大平正芳首相は、朝日新聞の論調が気に食わなくても、「死ね」などといわず、皮肉と尊敬をこめて「グレート朝日だからね......」とよく返していたといいます。一目は置いていたんでしょう。

中野 『Hanada』を見ていると、そんなウイットはほとんどない。まるでスキャンダル雑誌のような言葉遣いをしています。これはもう表現においては、右の『噂の眞相』(現在休刊中)ですよ。そういえば、装丁も毒々しさが似ているかもしれない......。それにしても、インフォーマルな知恵は微妙なものであるがゆえに、いったん失ったら取り返しがつかないのです。今の保守派はその恐ろしさを分かっているのか。一度、ガードレールがなくなったら、言論は加速度的に暴走するでしょう。現にそうなってきているではありませんか。

松原 『Hanada』や『WiLL』は、ごく少部数しか売れない時点なら許された便所の落書きのような表現を、これだけ目立って売れている中でもやめられない。こうした奔流の前では、それこそ自制的な言論はかき消されてしまう。今、冷静な言葉はかなり無力になってきている。
―危機感を持っている書き手や編集者が参集して、保守の媒体をもう一度、作る必要があるかもしれませんね。

中野 しかし、儲(もう)けようと思ったら、質の高い保守の媒体を出すのは無理。赤字でもいいから、良質の雑誌を、質の高さを求める少数の読者に届けるということが必要でしょう。

 ◇くすぶっていたリベラル不信

松原 そもそも論壇とは、社会の全体状況を見通す大きな議論をやりとりする場だったはずです。かつて保守側では『文藝春秋』や『諸君!』(文藝春秋が発刊していたオピニオン誌。09年6月号で休刊)、あるいは新潮ジャーナリズムがそうした論考を展開していたし、またリベラル側でも朝日新聞が論陣を張っていた。こうした構図の中では、朝日批判に特化した『正論』(産経新聞社発行のオピニオン誌で、1973年創刊)にも意味があった。ところが今は、大きな見方を提示する論考や媒体はわずかで、『Hanada』などの罵倒雑誌が論壇の中心にきている。この状況はまずいでしょう。

―森友・加計(かけ)問題で安倍政権が揺らいだ2017年の夏に、政権を追及する朝日などリベラル勢力を罵(ののし)ったら部数が大きく伸びたのです。以降、反リベラル路線が先鋭化していった印象があります。そして昨秋の徴用工問題を機に、今度は「嫌韓」を読者にアピールしています。反リベラルに商機ありと見たのでしょうか。

中野 『Hanada』などがやっている反リベラルが受けてしまうのも、日本社会の中に、リベラルに対する不信が先んじてあったからでしょう。なぜリベラル不信があるのか。これは何と言っても、民主党政権の失敗が大きい。民主党政権とは、リベラル系の、あるいは反権力を気取った知識人が90年代の半ばくらいからマスコミで言ってきたことを本当にやってみた政権なのです。
 例えば、飯尾潤氏(政治学者。統治論について積極的に発言)のいう「官僚内閣制から議院内閣制」、佐々木毅氏(政治学者。元東京大総長)らが唱えたマニフェスト型政治......。しかし見せられたのは、単に政権内の混乱でした。そもそも、55年体制以降は官僚主導ではなく、政と官のスクラム体制のもと、むしろ政党が政策を主導していたのです。官僚はさして強くなかった。それなのに「官僚はいらない」「彼らの力を弱めよう」とやったら、おかしくなるに決まっています。

松原 東日本大震災の復興にあたっても、民主党政権は官僚を使おうとせず、結局、土地の収用すら進みませんでしたね。

中野 そうです。要するに、リベラルの偉い先生のいうことを聞いて、民主党に一度やらせてみたけれど、全然ダメだったわけです。となると、国民の間に「もうリベラルは信用ならない」「反権力に二度と権力をとらせるな」と、反リベラル感情を持つ層が生まれるのも不思議ではありません。先日、安倍首相が党大会で「悪夢のような民主党政権に戻してはならない」と言ったのは、自分の支持者が「反リベラル」「反民主党」だとよく分かっているからでしょう。

松原 もう一つ、リベラルにとって致命的だったのは、朝日新聞の一連の慰安婦報道ですね。朝日は82年以降、「韓国で女性を慰安婦にするために強制連行した」という、吉田清治なる人物の証言をもとに慰安婦問題を報じてきましたが、14年に吉田証言は虚偽だったと認めました。つまり、強制連行はフェイクニュースだったわけです。ところがこの間に、強制連行説は国際的に広く定着してしまった。これは日本にとって大変な痛手です。あれ以来、「朝日はフェイクニュースで日本を貶(おとし)めている」といった自虐史観のイメージを持った人も少なくないでしょう。一般にリベラルに対しては「理想ばかりいって面白くないけど、実証はちゃんとやっている」という信頼があったと思いますが、この一件で、実証もダメとなってしまった。

中野 朝日が虚偽と認めた時、知り合いの雑誌編集者が「会社(朝日)にとってかなりの打撃になりますよ!」と興奮気味だったのを思い出します。相当にインパクトのある事件だったわけです。

松原 こうしてみると、今のネトウヨ的なものの生みの親は、民主党政権と朝日ということになる。

中野 あるいは、90年代半ば以降の知識人の言説や、それを流したマスコミが生んだともいえます。これは米国も似ていて、「リベラル系の知識人やメディアの言うことを聞いてグローバル化を進めたら、俺たちの生活は酷(ひど)くなった。あいつらはもう信用ならない」と、トランプ支持者が生まれていったわけです。リベラル系の主流派メディアが、トランプや彼に近いFOXニュースを信じている人たちをポピュリズムだと批判するけど、あの連中を作ったのはお前らなんだぞと。

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