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平成Climax 勁き声 美智子さまとその時代 第一回 ファインダー越しに見つめ続けた45年

2018年3月25日号

◇ファインダー越しに見つめ続けた45年 後編

 美智子さまは国民の母のような方―、そう語るのは、美智子さまの「追っかけ」歴45年の伊東久子さんだ。彼女の言葉からは、どんな人にも等しく心を配る慈愛に満ちた美智子さまの姿が浮かび上がる。前週に引き続き、伊東さんの証言を追ってみたい。

 伊東久子さんには、恒例行事がある。1月2日に行われる新年一般参賀を最前列で見るために、早朝から皇居の正門前に並び、お出ましの際の美智子さまを撮影するのだ。新年一般参賀のお出ましは、平成21年から5回になった。伊東さんは、そのすべてを見るため、長時間その場に立つ。一度でも場を離れたら、二度と同じ位置には戻れないからだ。
 いよいよ、来年の4月末には平成という時代は終わる。ふと思うのは、もう天皇、皇后両陛下のお姿を見るのが叶(かな)わなくなるのではないかという不安だ。
 同じ危惧を感じる人は多いのだろう。今年1月2日の新年一般参賀には、約12万7000人もの人が皇居を訪れた。平成に入って最も多い人数だ。
 美智子さまのどんなところに、人々は惹(ひ)きつけられるのか。皇太子妃時代から現在にいたるまでの肖像写真を眺めていると、あくまで私見だが、三段階にわたって少しずつ表情が変化している印象がある。
 妃殿下となった前後の美智子さまの双眸(そうぼう)は、若々しく凜(りん)とした光を放っている。これからの人生を切り開く意欲が満々と湛(たた)えられていた。やがて、宮中内のさまざまな軋轢(あつれき)に対峙(たいじ)して、やつれが見える時期が続く。その頃の写真は、研ぎ澄まされたような一種凄絶(せいぜつ)な美貌である。
 ある時期、急激にやせたことがある。よほどのお悩みかと、新聞、雑誌が書き立てたが、正田家の女性はみな年齢を経るにつれて細くなるのだと、美智子さまの身内の方から直接聞いたことがある。母の冨美さん(昭和56年に富美子と改名)も、美智子さまの婚約発表当時は49歳だったが、細身の女性だった。しかし、若い頃は丸いふっくらとした顔立ちをしていたという。
 そして昭和天皇が崩御したあたりから、美智子さまの表情は柔らかくなる。確執があったと伝えられる良子(ながこ)皇太后(香淳皇后)を献身的に介護して、実の娘にも劣らぬ孝養を尽くしていた。

 ◇しっかりと顔を覚えてくれた

 そんな美智子さまを待っていたのが、思いもかけない週刊誌などのバッシングであった。簡単にいえば、皇后にふさわしくない振る舞いがあるという指摘だった。いずれも真実ではなかったが、心痛のあまり、平成5年10月20日、59歳の誕生日に美智子さまは倒れた。失声症と診断され、療養の日々が続く。当時の美智子さまの表情に怒りの気配は見えない。むしろ限りない悲しみを宿した瞳が、多くの国民の胸を突いた。

 平成7年の阪神・淡路大震災のとき、被災者を慰問した美智子さまの姿が、今でも瞼(まぶた)に焼き付いている人は多いだろう。兵庫県西宮市の体育館や芦屋市の小学校を見舞い、神戸市長田区の菅原市場に立ち寄った帰り道、バスの中で手を握りしめ、何度もこぶしを振った。手話のポーズで「がんばってください」と語りかけたのだ。この瞬間、被災者も国民も、すべてが一体となって大災害から立ち上がる気概に燃えた。「美智子さまは国民の母になられた」と伊東さんは言う。こころないバッシングなどはすっかり影を潜めた。
 あれから今まで、美智子さまは常に柔和な笑顔を湛えて人々に接している。それは、日本人に対してだけではなかった。平成5年、声を失われる直前の8月にも、ベルギーのボードワン国王の葬儀に参列した。必ずしも体調は万全ではなかったはずだ。翌年5月に回復すると間もなく、アメリカ、ヨーロッパを訪れ、現地の人たちに温かく迎えられた。
 日本の皇室と、ベルギー王室との親睦は有名である。さかのぼれば、昭和天皇の皇太子時代、大正10(1921)年の訪欧からベルギー王室との交流は始まった。そして戦後になって美智子さまが皇室の一員に加わり、親密の度合いは増したようだ。
 ボードワン国王とファビオラ王妃の年齢が天皇、皇后の年齢と近く、同じような境遇へ寄せる思いもあっただろう。冠婚葬祭にはお互いにそれぞれ相手の国を訪れ、子供たちもまた、ヨーロッパに行けば、ベルギーに立ち寄った。そして、平成26年にファビオラ元王妃が崩御した際の美智子さまの行動に、世界中が称賛を寄せた。
 80歳という高齢にもかかわらず、12月5日に訃報を聞くと、11日には単身で渡欧し、12日の国葬に参列、翌日の13日にはもう帰国の途についたのである。若い人でもためらうような強行軍での行動だった。そこに美智子さまの情実あふれる人柄が感じ取れる。
 だが、これは相手が王室の方だから特別な好意を見せたのではない。美智子さまは、どんな人にも等しく誠実に対応しようという気持ちを常に持っている。
 伊東さんの回顧に耳を傾けてみたい。
「美智子さまはきっと軽井沢で、私に気づいてくださったんでしょうね。いつも毎年テニスコートのところに私が立っていたから。あれは昭和60年の夏だったかしら、『どちらからいらしたのですか?』とお声をかけてくださったんです」
 伊東さんが地名を答えると、「そうなのね」とうなずいた。それ以来、美智子さまはしっかりと伊東さんの顔を覚えてくれた。
 30年ほど前のことだ。伊東さんは腰痛がひどくて、医師のすすめで体重を落とした。すると美智子さまは伊東さんの顔を見るなり、「お痩せになりましたね」と心配そうに聞いた。「はい、腰が痛くてダイエットをしました」と答えた。2、3年後に、美智子さまは伊東さんに気づくと、まっすぐに近づいてきて「腰の具合はいかがですか?」と尋ねられた。「あんなふうに記憶力が良い方なんですね」と感慨深げに伊東さんは語った。そして、美智子さまと言葉を交わすそのときの自分の姿を、同行した娘が撮影してくれた一葉の写真をじっと見つめた。

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