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平成Climax  勁き声 美智子さまとその時代 第一回「平民の娘」から「国民の母」へ―

2018年3月18日号

◇ファインダー越しに見つめ続けた45年 前編

▼45年にわたって美智子さまを撮り続けてきた女性は、自分の目ではっきりと見た

▼「サングラスを掛けられているのかと思ったら、目の周りのクマでした。ご心労でおやつれだったんですね」

 将来、"国民の母"といわれる立場になる――。24歳でその決意をするのは並大抵のことではなかったろう。心ないバッシングに遭おうとも、その決意は揺らぐことがなかった。美しさとは「勁(つよ)さ」である。そのことを自らの生き方で体現してきた美智子さまを、数々の新証言とともに追う大型企画。

 日本人のほとんどが、ある覚醒を迫られたのではないか。平成28年8月8日にNHKで流れた、天皇陛下のビデオメッセージである。天皇陛下自身が初めて退位の意思をにじませた。前代未聞の提起であるが、同時に次のようなくだりがあった。
「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました」
 日本中のみならず世界各地を訪れ、慰問、慰霊の旅を続けた天皇、皇后の姿が鮮やかに眼前に浮かぶ言葉だ。
 たしかに、日本の長い歴史の中で、これほど人々と接する機会が多かった天皇は初めてだ。その傍らには常に皇后がいて、どんなに困難な局面でも柔らかい癒やしの光が差していた。
 やがて過去となる平成の時代を、人々はどのように回顧するのだろうか。その際、常に国民に寄り添おうとしてきた天皇、皇后の姿は、人々の脳裏にどのように残るのだろうか。皇后は、さまざまな意味で皇室の歴史を塗り替えた方でもあり、同時代の女性たちに強い影響を与えた方でもある。その皇后となんらかの接点があった女性たちが抱いている率直な感慨とは何か。それを知ることで、歴代の皇后とは明らかに違う美智子さまの実像が浮かび上がるかもしれない。そんな思いで、女性たちの証言を採集してみた。
 昭和33(1958)年11月27日。すべては、皇太子のお妃(きさき)が正田美智子さんに決定したという正式発表があったこの日から始まった。
 皇太子妃となるのは民間出身の女性だった。その姿を初めて新聞、雑誌で見た国民は大きな衝撃を受けた。日清製粉という一企業の経営者の令嬢で、聖心女子大学を卒業した才媛(さいえん)だからではない。正田美智子さんの凜(りん)とした佇(たたず)まいは、誰の目もくぎづけにする魅力に溢(あふ)れていた。
 婚約発表の記者会見、そして昭和34年4月10日のご成婚パレードは、さらに鮮烈な記憶を脳裏に焼き付けた。映画や小説の世界にいるプリンセスではない。可視化され、しっかりと国民の眼前に現れた美智子さまの、なんと華やかで優美なことか。
 それから60年の歳月が流れた。美智子さまのお出ましのときには、常に「追っかけ」と呼ばれる女性たちが取り巻いている。その中のひとりが、昭和24年生まれの伊東久子さんだ。伊東さんの「追っかけ」歴は45年。ご成婚当時は、茨城県在住の11歳の少女だった。

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